riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

超高齢者の悲痛な叫び声に耳をかそう

療養病院がきえ、中小の病院が療養病院になる⁉️

慢性期の学会でどなたかが講演なさっていた内容がつぎのようなものである。

 

いまの急性期病院とうたっている病床が少ない病院が、慢性期の高齢者のねたきりをうみだしている。

 

急性期なら急性期の患者をみてほしいとはなされていた。

 

 

高齢者をベルトコンベアみたいにしてうけとり次に回す。

 

この中継地点に200床未満の病院か存在する。

 

国が療養病院の制度をかえても、高齢者が療養病院でなく居場所が他にかわっただけである。

 

国はない袖は、ふれません、医療費はありませんといっているわけであるからつじつまがあわない。

 

社会的入院とは⁉️

中小の病院に、大病院から高齢者が転院してくる。

いわゆる治療目的ではなく、社会的入院である。

 

社会的入院とは、行き場がない、家でみれないからあずかってほしいとのことで入院されることである。

 

しかし、病院なので治療行為しないと、利益はうまない。

 

胃ろうを拒否すると中心静脈をすすめられる

 

中心静脈と点滴は多少ちがう、太い静脈から点滴だから高カロリーが中心静脈からいれることができる。

 

簡単にいえば、日本人が大好きな点滴と抗生剤がはじまる。

 

胃ろうは最近つくらないというかたがふえたから中心静脈栄養になってきた。

 

中心静脈は、胃ろうと違い一般には浸透していない。

中心静脈から高カロリーをいれますと医師から言われるかたがふえてきた。

 

それで感染症をひきおこす高齢者がふえてきた。

 

さすときも痛いし、高齢者でなくてもつらいから、ひきぬこうとすると、身体拘束をされる。

 

超高齢者に高カロリー栄養いれても、寿命はのびない。

苦しむだけである。

 

体が水びたしになるだけである。そもそも動かない、超高齢者に成人なみのカロリーは必要ない。

 

負荷を内臓に及ぼすだけである。

 

これが若いかたの病とは違う。あくまで超高齢者の話である。

 

高齢者の終末期医療を考える―――長寿時代の看取り

高齢者の終末期医療を考える―――長寿時代の看取り

 

 

 

家族が延命処置をことわると、医師により生きることを止めるのですかというかたがいる。

 

家族は罪悪感をかんじ、胃ろうを作りませんが中心静脈ならおねがいしますになる。

 

中心静脈とは⁉️

きちんとした医療情報が一般のかたにしられていないからである。

 

中心静脈栄養とは頚部か大腿の太い静脈から点滴されることである。さされるときも麻酔薬をつかってもいたい。

 

頚部はまだしも、いわゆる鼠径部からいれたら、便や尿などで汚染して、感染症をひきおこす。

内科系の先生は、外科医とは違い手技の訓練うけていないので、簡単な鼠径部からいれるかたがおおい。

 

私は内科医でへただから、外科医におねがいして頚部よりいれてもらっている。内科医だからおねがいとどうしても必要なら外科におねがいする。

 

先生がたはプライドたかいから、他の先生にたのめないようである。が迷惑こうむるのは患者様である。

 

中心静脈をいれたことにより、感染症になると抗生剤がはじまる。細菌は血流にのり全身にばらまかれる。

 

敗血症というのをひきおこし、死にいたる。

 

敗血症ショックというのになることもある。

 

免疫がおちている超高齢者にいたいめにあわしてもやることだろうか?

 

私はある若い外科医から次のようなことをきいたことがある。

彼は古い体質の医師と違い、たんぱく質がたりないから輸血したりしなかった。

なぜかときいたら医療資源の無駄だといっていた。

彼は口数がすくないからそういう表現をしたとおもう。

 

輸血は超高齢者にしたら心不全おこしたりするだけで、苦しめるだけである。

 

念には念をいれ、中心静脈から輸血をいれる医師もいる。

看護師は、点滴の業務がなくなり喜ぶ。

 

結論

今後は胃ろうはへり、中心静脈がふえる。

 

超高齢者に国が保険診療制度をかえないかぎり、医療行為は続く。

海外では老人虐待とされている行為が、日本では医療行為であるのは不思議である。

超高齢者は自分できちんと意思を表明できないことが多い。

 

超高齢者の叫び声に耳をかたむけないといけない。