riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

東大祝辞を受けて!私立医大では受験時に一律に女性へ減点する事実をどうするのか?ふざけた女性医師の人生相談‼️

上野先生の祝辞に関して

上野先生の祝辞は女性教育のありかたについてはなされたのといわゆる貧しい階級とか、環境がととのわず社会の上層部になれなかった弱者へのコメントである。

強者となった東大男性の新入生に弱者をいたわるように祝辞をだされたのだと推察する。

私たち女子は自分の力ではどうしようもない性差別を社会からうけ強烈な劣等感をもっている。

社会にたいして満足な木村太郎氏は祝辞を批判した。

エリート階級の男性はあの祝辞にノーである。木村氏と同じ考えであろう。なぜなら今の社会にかれらは満足しているからである。

いわれなき差別をうけたことがないからである・

がんばっても報われないものは社会的弱者と女性である。

我々女性はうまれたときに差別うけている。

弁護士の山口真由氏彼女は東大卒らしいが、今は上野先生のはなされていることとは、違うとコメントだされているときく。

が医療界だけはあきらかな女性差別がある。

東京医大などはじめから女性は一律減点していたらしい。

それでと私もうなずけることがいっぱいあった。

成績では我々女性陣が男性陣よりよくても女性の価値とは比例しないと上野先生の祝辞全文よむとうかがえる。

上野氏は出身はいわゆる貧困層ではなくお嬢様育ちときいている。

我々女性はどんなに環境よく育ち成績がよくて仮に東大いっても医師になってもなんにも評価されないのである。

息子に男性でうまれただけで勝ちだと私はいった。

頑張って小さい時よりきてなにひとつ男性陣にまけない成績をとってきても我々は差別される。

医大をでるまでは差別を感じたことはなかった。研修医のころもである。

年をとり、周りに女性勤務医の同期が一人もいなくなった時点で差別を感じ始めた。

私の幼馴染で私と違い独身をつらぬき医学部教授めざした女性医師がいる。

私は子育ての空白あるが彼女は大学でキャリアつんだ。が教授になれなかった。

なぜだ?は女性だからである。

男性にうまれめぐまれた環境にいきてきたかたで、甘えていえてなまけもので社会からはみ出して社会に劣等感もっているかたがいる。

医師ではないが、知り合いの男性で、遊びくるいお金を某国の女性に退職金までつかいはたしたかたがいる。

70越えてから社会が悪いとほざくなまけものがいる。

こんな女性はまずいない。

 

こういうかたは自業自得である、よくめぐまれた家のお坊ちゃんが道をはずすということがあるがこういったかたは、そもそも弱者でなくなまけものである。

男性はうまれたときに我々とちがい有利である。というと危険な思想といわれそうだが。

現実はうまれた瞬間の性で勝ち負けはまずきまる。

しかし今は、私の同級生で優秀な女性が日銀の上層部にいる時代になってきた。

今も歴然とかわらない女性差別がつづいているのは医療界である。

不正入試問題は、お金持ちのお坊ちゃんは医師になれることを露呈した。

はじめから女性受験者に一律減点しているのは、まともに入学した男性陣にも失礼である。

医療界が女性差別を撤廃するには、女性医師たちがもっとプロ意識もつことも大事である。医師免許は、花嫁道具でいいや、ではない。

なぜなら私立医大も国民の税金がつかわれているからである。

ふざけた女性医師の悩み相談、ある掲示板から

私は医師は前期研修医しかしていなくて、子育てして健診のバイトだけしていますがもっとかせげるとこありますか?と医師向けの掲示板にのせた女性医師がいた。

なら医師になるなとおばさんはいいたい。

国税をつかい医師になり、バイトしてかせいでいて子育て後もそのようなバイトでいきたいのですということだった。

女性医師の意識改革も大事である。

子育てして医療の現場からはなれても復帰はできる。

努力すれば職場復帰は、できる。

私は開業医の妻としてまあ医師会の奥様たちともおつきあいして、ごく普通の子育て中心の女性の生活をしていた。臨床現場から多少はなれていた。

友人の女性医師はみんなキャリアつんでいた時に子育てを地域につかり、していた。

焦りはあったが子育ては、人をつくることでこれは大事な仕事だと考えていた。

また地域の他の業界のかたがたとふれあい、交流するのはこの時以外ないと考えた。

離婚もあるが、40才すぎて、現役に100%復帰した。

いま考えたら無謀な挑戦をしてきたとおもう。

医療界でも当時から私のことをみていた男性陣は、経過がわかっているので、私を差別したことがない。

20年にわたり私の医師生活をみてきたかたは、決して私を差別しない。

人格云々もいわない。

どんな思いで、どんな差別をうけて、独りたたかってきたかを理解しているからである。

そのような男性陣も数少ないが医療界にいる。
男女をこえた親友たちである。

世の中の全ての男性陣はなまけものかおおい。

なかなか医師免許以外の資格もとれずここ数年勉強ひたすらして資格マニアかというほど資格とった。

なぜか?は女性というだけで差別うけたからである。

復帰したとき、キャリアつんでいた同期の女性医師は開業とか臨床ではない現場にいっていて全く同年代の女性医師は姿けしていた。

男性医師達はなまけものがおおい。

ちやほや女性からされるから遊びにいそしむ男性もいる。

55歳すぎても私のように、勉強して試験うけたら資格はとれるるのにだいたいがなもけものである。

それはなぜか?うまれたときに男性だけで、有利で我々女性医師みたいにあがかなくてすむからである。

まとめ

しかし私も還暦ちかいのでこの医療界の男尊女卑の競争社会からはおりようと思う。

医療界の女性差別についてきかれたらきちんと医師になってからの経緯は嘘いつわりなく語るつもりである。

不正入試問題の被害者の弁護団とか、国会の超党派の女性議員から話をききたいといわれている。

なぜ、私なのか?は、私しかいきのこったシーラカンスのような女性勤務医の医師がいないからである。

私は政治も宗教も興味ない。が嘘だけはいわないし話さない。正直に生きてきた。

同年代の女性医師がだれもいなくった現場で一人戦ってきたのである。

そんな男尊女卑で、独りで戦おうなどとおもっていなかったが結論からいえば戦をしてきた。

はじめから私は男尊女卑とたたかおうとおもっていなかった。

妊娠したときも、医師をなまけるいいわけできたなど不届きな考えであった。

医学部でも目立つような優等生ではなかった。

いま思えば、あまり頑張りすぎずにきたからのびしろがあったのかもしれない。

研修医のころ、教授におまえは50すぎないとつかえる医師になれない、遅咲きだといわれたことははっきり覚えている。

そのときもそうか?とおもい頑張ろうなどとはおもわなかった。

だいそれた、男尊女卑の医療界をかえようなどという大義名分でやってきていない。

のんびりと医学部生活もやってきた。

40才すぎまでひたすらマイペースでやり、医師としてキャリアつみあげる同期の女性と違うタイプでいた。同期の女性医師たちはまばゆいばかりに仕事していた。

子育てを私より遅くはじめ、みな二度と現場にかえってこなかった。

私は、ただ自分が母親ならそれにうちこみ、医師なら患者様にうちこんできた。

ただ、ずるいことだけはしたくなかっただけである。

母親業も、子育て中はママ友と味噌まで手作りした。

ママ友と下らない近所の噂話とかおしゃべりしながら、いろんな料理をつくった。

ケーキも手作りした、あくまで楽しんでやっていた。

SMAPのファンの専業主婦のママ友とはジャニーズのコンサートまで一緒にいった。

そうしているうちに独りだけいきのこった現役の女性勤務医になった。

今後やりたいこと

女性医師側も子育てすんでも現場復帰しませんなどということがないように後進の指導はしたい。

国税がつかわれてなければ医師免許は花嫁道具ですでもよいが、私立医大にも補助金は国からでているからである。そんなこともしらないお嬢様医師もこまったものである。私が独りでこれたのは、周囲に女性医師の先輩も同期もいなかった。

本当に独りだけのおばさん医師を、40歳こえたくらたいから、20年ちかくやってきた。

寂しくはなかった、

仕事場をはなれたらあらゆる業界に専業主婦もふくめて友人、知人がいたからである。

人垣にまもられてきた。

20年ちかく、お金をまったくうけとらない公認会計士の知人がいて無料で私の確定申告をしてくださる。

ありがたくて申し訳ない。

父の遺言におまえは親がいなくとも世間がまもってくださると、

だから今後は女性が差別なく働ける医療界にすこしでも貢献できたらとおもう。

男性社会はうるさい、やっかいなおばさん、やめてくれだろうが。