生きることは死ぬこと‼️
なぜ、医療界は男性社会なのか?
私は男尊女卑が激しいといわれる鹿児島出身である。
高校まで地元にいたが差別など感じたことなかった。
曾祖母も女医になりたかったがさすがに学校が東京で大正時代とおすぎてあきらめたときいた。
女性だからあきらめたとはきいていない。
私は小さいころより女性だからと差別されたことはない。
鹿児島で女性差別をうけたことは一度もない。
もちろん医大でも研修医終了するまで差別うけたことない。
多少は、差別それ以後うけたが、差別されていると感じいじめにもあったのはここ数年である。
なぜか?
会社も差別はあるが、問題は団塊の世代の男性たちだと考える。
じつは、それより年齢高い男性医師は、差別はない。
以前 90代の先生とご一緒したことあるが、かえって女医差別を嘆いていらした。
優秀な女医が実は子育てではなく、その後男性たちより差別をうけて職場をさっていったとそのご高齢の先生はいわれていた。
なぜ団塊の世代の男性は女性差別するか?全員ではないが。
理由は、かれらは、競争社会でいきてきた。
他人をけおとしていきてきた。
だからまず能力ある女性がいたら邪魔である。
まず競争相手を排除しないといけない。
まことに能力ある有能な団塊世代の男性は女性を差別しない。
女性がいると自分の地位をおびやかされるような男性は、差別をする。
私の世代の男性、つまり天皇陛下の世代は女性差別あまりしない。
陛下は、有能な雅子皇后を伴侶に選ばれた。
これが団塊の世代の男性なら雅子皇后を選ばれない。
しかし、私の世代の女性は浮かばれないが、団塊の世代の男性が職場をされば未来はかわると考える。
人口が減る社会では女性もはたらかないといけない。
女性医師が差別うける原因に女性医師がわも問題がある。
医師はバイトだけのフリーターでいまは、暮らしていける。
なので、女性医師のフリーターはおおい。
子育て中、育児中のママなら仕方ないがたんに楽して金儲けできるからの女医もかなりいる。
なにも差別うけてまで苦労して常勤医などだれもやらない。
私はそのような女医を見るたび、しっかりしろ、医師免許に甘えるな!といいたくなる。
私は病がふたつもある。生まれつきの喘息とリウマチである。
父が広島で被爆したことがこうも免疫疾患がある理由だと考える。
なぜ、苦労ある女性差別ある常勤医を続けるか?
定年まで内科医をやりきった女性医師がいるということだけで、後進の女性医師が道が開けることにつながると考えるからである。
たった一人定年までまっとうできたところでなにもかわらないと。
くだらないと、男性陣たちは考えるかもしれない。
命つきるときに、やり残したことをかかえたくないからである。
一度しかない人生である。
やりきって死のうと病をふたつかかえたときおもった。
定年までやるのはしんどいですよと女性で心配して、私にはなされるかたがいる。
金銭的には、バイトして暮らしたほうがよいかもしれない。が、きちんと死ぬために毎日戦っているのである。
たくさんの高齢者の死を みてきた結論である。
やりきって死なないと悔いがのこる。
私が女性内科医としてはじめて定年を会社で迎えることになる。
ただそれだけだが蟻の一歩より小さいかもしれない。
職務違反も一度もしたことない。
外来患者数も一位をゆずったこともない。
しかし、差別はある。セクハラ発言ももみけされたこともある。
医師だけでなく事務かたも女性差別がある社会である。
たったひとり戦ったところでなにもかわらないかもしれない。
死ぬために人は生きるのである。目標は死である。
どのようにして死にたいか?だけである。
後ろめたいことして死ぬなど私はできない。
子育て終了していて現役の私の世代、天皇陛下の世代の内科医の勤務医の女性などごくわずかである。
施設などわりと体力的にも精神的にも楽なところには女医がいるが。
一般のかたに知ってもらいたい女医差別
全国に私のように病院で内科外来していて、子育ても終了した同世代の女医は、10人いるかどうか?のレベルである。
私は一人もおあいしたことない。
だから、私は後進の若い女医のためにも仕事を続ける。
あとは曾祖母のおもいだろうか。
曾祖父は西郷隆盛の少年兵だったらしいが、女性差別どころか、女性も教養ありきとといていたらしい。
この先祖が女性差別をしない家柄を築いたとおもう。
祖父も父も女性差別どころか、そんな考えすらなかった。
だから私は性差別がこのようにひどいことを感じたのはここ近年である。家族では男尊女卑という言葉もきいたことない、
女性差別したり、悪いことをして生き延びた男性諸君は、死ぬときにどんなおもいで死ぬのだろうか?
結論
きちんと生きることはきちんと死ぬことである。
曾祖父がチェストイケといっているようなきがしてならない。
西郷どんの番組で有名な言葉になったが鹿児島弁でがんばれ!である。
死ぬときにやりきった、終わったといいたいから生きるのである。