産休、育休なし‼️女医哀史
産休、育休ない時代
医大卒業するまで差別はうけたことない、
しかし、研修医の時に結婚したら、差別しかなかった。
もう亡くなれたが、ある教授に結婚したから医局でていけ、邪魔だといわれた。
上の息子を妊娠中であり邪魔だといわれ日産の研究所のクリニックへ出向になった。
しかし、産休はなく育休も女医にはなかった。
息子を帝王切開してお産してから二週間で仕事にもどった。
親も遠方でありだれも助けてくれなかった。
環境は劣悪だが生後2ヶ月からあずかってくれる保育園をみつけた。
前の主人は大学院にいき、経済的ゆとりはなかった。
家政婦をやとってみてもらった。しかし、窃盗癖がありやめさせた。
次にやっと先輩から紹介してもらった医師の未亡人にきてもらった。
経済的ゆとりがないので、生後2ヶ月から保育園にやった。
環境劣悪の認可されてない保育園であった。
子供もたくましくないと生き延びれなかったようである。
おやつもハイハイできる集団がたべているすきに、すって移動できるようになった息子が盗みくいしたらしい。
熱をだしたら、背中におぶって夜中のバイトにいったこともある。
往診先のおばあさんが、女医さんがこんな苦労するなどしらなかったと、息子に焼き芋をつぶしてくださり涙されていた。
救世主登場
困り抜いていた私をすくってくれたのがYMCAの保育園である。
近所にできたのである。
朝も弁当もたせたら、朝早くでもたべさせてくれるし、夜も7時までみてくれる。
病ならちかくの病院につれていってくれる。
そのうえ、英語、体操、水泳がYMCAなので、追加料金なしで、教えてくれた。
スキー合宿もあった。
息子も娘も保育園卒業してもスキー合宿にいったおかげで、スキーは上級者の腕前である。
しかし、世間は私に家にいろと圧力かけた。
うちの息子は、丈夫だったが、それでも日産のクリニックを休まないといけないときがあった。
日産の当時の研究所の責任者は私にさすがお医者さんの息子さん、体が弱いですなあ、ずいぶんと甘やかしているのですなあと皮肉いわれた。
当時一緒にはたらいていたナースと偶然にSNSでつながった。
赤ちゃんどうなりました?と懐かしくていまや友人のひとりである。
30年ぶりに連絡ついたナースが覚えていたくらい、育児しながら働いている女医は当時いなかった。
非常に優秀なナースで、助産婦、保健師などとりいまは東京消防局にいる。彼女も頑張った人生だったらしい。
子供生んだら女は家にいるものは常識だった。
圧力があちこちからかかった。
自分の学力がなく医師になるのに時間かかったり、貧しくて医師になるのにご苦労なさった男性医師はいる。
が私にいわせれば、所詮自分のことで苦労していただけである。
子供は、自分ではない。
病にもなるし自分では、予測できないことがいっぱいある。
なぜ、働くのだ?なぜ、医師をやめないのだ?ばかりしか世間はいわなかった。
ついにはまともな人間には息子さんは育たないと罵倒された。
娘さんは嫁にいくからいいでしょうが、息子さんは、男だから家族を養わないといけないから、母親が働くとまともに育たないといろんなかたにいわれた。
当時は、紙おむつしたらまともに育たないというかたまでいた。
余計なお世話で娘は嫁にいっていない。
息子が、研究者になりアリゾナ大学に就職したときは、本当にうれしかった。
仕事をしたら子供は道をはずすとさんざん世間からいわれたからである。
あちこちから弾圧はうけた。
怠け者の男性医師諸君は、わからないないだろうが、医師をいまの年まで続けるのは、育児以外にも苦難しかなかった。
なぜ、女性にうまれただけで差別うけないといけないのか?
いまだにわからない。
わからないからひとりしか同年代の内科の女医がいないのに病院勤務を続けているのだとおもう。
専業主婦の女性陣営からも子供さんがまともにそだないと批判はうけた。
くじけたときもあり、仕事をなげだしたときもあり、専業主婦になったときもあった。
しかし、なんとか病院に勤務して子育ても終了した。
産後休んでないと体を壊すよと知人にいわれたが、そのとうりいまは、あちこち病がある。