孤独死ではなく自立死はいかが⁉️
自立死と孤独死の違い
米国では、自立死がおおいという。
自立死も独りで死ぬことだが、必ず周囲が異変きずいたらきてくれる。独り暮らしも本人が好きで楽しんでいる。
孤独死
独りで寂しく死ぬ、周囲がなくなったことにきずかない、
米国では、近所に子供家族がいても独りで暮らす高齢者がおおいという。
わずらわしさがいやとか、独りで好きな趣味やらしたいとかである。
日本人は独り暮らしの高齢者を独居といい、施設にはいれと必ず行政とかからいわれる。
余計なお世話だといいきれない。
なぜなら独りでなくなったあとご迷惑を近所にかけるからである。
日本人はどこかにでかけたらお土産を近所にくばる、が病になっても近所は助けない。
米国ではお土産などくばらないが隣人が病になると病院につれていったり看病してくれる。
米国は弱肉強食の世界だといわれるが、貧困な高齢者には配食サービスがある。
それもボランティアが配る。
フードスタンプという食事券もありそれをもっていくと地域で食事もたべれる。
そこのスタッフとかともはなせるし全く孤独に独り暮らしの高齢者はなることはすくない。
うごけないかたには毎日とどけてくれるサービスがある。
とどけてくれるかたは地域のボランティアである。
仕事がおわってから配るかたもいる。
シニアセンターなどがあり、高齢者が昼間きてコーヒーのんだり、パーティーしたりする場所がある。
映画館があり、ショッピングできる場所もあるところがある。私のいま住んでいる地域には病院が乱立して凌ぎをけずっている。
私が経営者なら、シニアセンターつくりそのなかに小さくクリニックなりつくり高齢者が普通に食事できる場所など小さいモールをつくりたい。デイサービスとかだと他人とまじわるのが嫌なかたはこない。
シニアセンターなら、自力でこれるかたはくるし、いまのようにバスである地域までお迎えしたらよい。
高齢者もできるだけ最後まで普通に社会生活ができるように行政や医療機関などはすべきだとおもう。
日本人はシャイなのでなかなか隣人をたすけたり、しらないおうちに配食をとどけたりはできない。若いかたもきてもよいが高齢者がいきる街とはいかなくても小さいコミュニティーをつくることが大事であろう。
しかし、日本では既得権利益が大事で社会構造をかえることはむずかしい。
柔軟性ある社会にならないといつまでもだれにもみとられずになくなり腐敗したご遺体がふえていく。
なかなか日本社会はかえられない、腐敗したご遺体がたかくつみあがらないと国も国民も意識改革はできない。
日本人が最大の苦手は、臨機応変である。
マニュアルどうりに動くのは日本人は、得意だが、隣人が病のときのマニュアルはない。
なぜなら我々大人がうけてきた学校教育は、受験競争にかつための机上の勉強だけで、なぜ?どうする?がない勉強だったからである。