riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

職場で、怒鳴ると前科つく⁉️不機嫌なバカがふえた社会‼️

不機嫌なひとが実におおい、

わたしがあんた!とどなられたのも精神的に余裕がない人であるにほかならない。

精神的に余裕があるかたは怒鳴らないし、もしなにかあってもへりくだりはなす。

経済はいきずまり、消費税はあがり、社会保険費はあがり、何歳までも国は働いてください。

これでは国民はとくに働きざかりは不機嫌になる。

他人をおもいやる力などなくなる。

自分が不機嫌なことを弱いものにたいしてむける。

不機嫌なばかは、自分より強いものにはわざと上機嫌になる。

身近にいる家族にあたったり、弱いものをいじめたり、残酷な腹いせをしたりする。

この不機嫌をなおそうとして薬にたよるかたもいる。これも深刻な問題である。

昔は、それでも相手を気遣うような言葉のかけかたを親や回りからならうよりみておぼえてきた。

元気?大丈夫?と声をかけあっていた。

へりくだりなさいとか、自分を卑下してからはなしなさい。えらくなればなるほど稲穂のように頭たれなさいとか、

稲穂は米ができると稲穂をたれる。

そのようなことさえ大人にいわれずそだってきたかたが不機嫌なバカになる。

若いかたでもきちんとしたかたもいる。

育ってきた環境によるものと考える。

偉くなったとたんに偉そうな日本人がおおい。

おばかな不機嫌な日本人がふえた。

井の中の蛙大海を知らずで、たいしたことは世間から考えたらないのに威張る人みるとコミカルでもある。

道化者にしか私はみえない。

他人に親切にしたら必ずかえってきますよと昔は当たり前だと、親が子供に教えた。

悪いことしたら必ずみにふりかかりますよ、といわれいたずらしたら、鬼がくるとこわがったものだ。

それが学校や塾で学べない、教養である。

それは回りの大人が教えるものである。

それがいまは、頭なんかよくなくなっていい、不機嫌が悪いのか?とひらきなおるやからがたくさんいる。

道で他人とぶつかるとどなる。

きにくわないと、他人にあたる。

店でクレームつける。

日本では歩いてしらないどうし笑むなどない。

他人にまず怒鳴るなど、不機嫌なバカである。

バカとは、学歴ではないかかたをさすわけでない。

しかし、高学歴である程度の学歴みにつけたかたに言葉ずかいが乱暴なかたは少ない。

本を読んだりするうちに教養をみにつけていったのではないか?とおもう。

 

尊敬語や謙譲語はみについていない国民がふえた。

 

自分より目上の人間にはへりくだりものをはなすとか。

 

なにか他人してもらったらお礼をいうとか。

 

私は職場で若いかたにへりくだられたことが少なくなってきた。数えるくらいがいまの現状よと友人の別の医療機関で働く女医にはなしたらびっくりしていた。

なに?あんた!と外来中に事務責任者にどなられたの?と私の友人はびっくりして、そんなとこ友人としては、恥ずかしい職場だからやめてよと笑いながらいわれた。

 

しかし、私の回りにもきちんとした礼儀ができるかたもいる。

へりくだり接するわかいかたをたまにみるとなんとよい育ちなのだろうと思ってしまう。

かえってびっくりして、感心してしまう。

事務職が、一回り以上年上の医師にむかい怒鳴りまくり、いじめるなど昔の病院には、なかった。

友人によるとそんな病院、いまもないし、聞いたことないといわれた。

まず、あんた!など女性医師に怒鳴る人が病院の事務職に普通は、いるわけないと友人にもいわれた。

怒鳴る職員はうちでは解雇よとはなしていた。

うちはどなられた私のほうが立場わるくなりますます窓際よとはなした。

 

そんな人は、病のかたがくる病院の事務職にはなれないのが常識であり、そんな発言したら仕事からはずされるのが常であるのが確かに彼女がいうように普通だが。

 

まあ、友人はびっくりして、自分ならあなたのとこに受診するといつどなられるか、こわいし、受診しないわといわれた。

 

そんな人間は、誰にでもきれたらどなるのよ、患者だろうがなんでもとはなしていた。

 

事件が、将来、おきないように願うわとはなしていた。

 

一応医師なら、一目おかれ会話されたものだが、いまは医師を俺たちが使ってやるよになるのよと友人にはなした。

 

そりゃ、業務妨害だから警察にいけといわれた。

 

刑事罰なら三年の懲役か、罰金いくらだと彼女ははなしていた。

 

前科つく可能性あるから他人には病院だけでなく、普通の職場でも、いまの時代どならないのは当たり前よと。

 

怒鳴り外来を中断させることは、刑罰で前科つく可能性あることすら、どなった人はしらなかったし、回りの人もわからなかったのである。

 

彼女はあるだれもがしっている独立行政法人で医局長しているが、ありえんと。

 

弁護士なら、なんとか君が同級生にいたじゃないの?といっていた。

なんだか?とあまりのバカさ加減にため息しかでないのよとはなした。

 

狭い社会の中のことしかわからないみたいよと、はなした。

いつも病院が自分を守ってくれると考えているんじゃないの。それは個人の問題だからいい大人が怒鳴ったらだれも守りませんよとだんだん彼女のほうが怒っていた。

 

医療界のある意味怒鳴ったかたは、ニュースよ、

 

医師を外来中にどなり外来ストップさせるなど珍事よとまくしたてていた。同窓会ではなしたら皆腰をぬかすわよと、

 

ちょっとまって、同期に厚労省官僚いたからだまっていてねとはなした。

 

また、どなられたら警察に知り合いの弁護士といくわと話した。

 

早く警察に、弁護士といき相談して、被害届だしなさいとしきりに話していた。

 

まあ、昔から私をひっぱっていくタイプの友人であったが、

 

あまりにばかばかしくて、同じ土俵で論ずることさえ恥だと思うのよ、

 

警察にこんなばかばしいことありましてと話すことすら恥ずかしいとはなしたら、今の日本人には、恥がないのよとはなしていた。

 

私の職場で、女性医師の地位が低すぎるのも問題ではあるが。

 

独立行政法人の病院では絶対に100%医師だけでなく、職員に怒鳴ることすらないし、医師に外来中に怒鳴り中断させたらそりゃ責任問題よ解雇もうちなりあり得るとはなしていた。

 

うちではなんも責任はとわれなかったよとはなしたらよく我慢するわ、とあきれて電話きられた。

 

昔の事務職のかたが本当に懐かしい。

礼儀ただしかった。

いまの若者は、給料が少ないのだからとひらきなおる。

勉強できるのがなんだ!医師などなんだ!官僚がなんだ!とひらきなおる。

これは日本社会がわるい。

金持ちや学歴高い人間をなにか悪者にして排除しようとしてきた日本社会がわるい。

スポーツできる人は社会はたたえるが勉強できる人はたたかれる傾向に日本はあった。

とくに女性ならなおさらでたたかれてきた。

女性が学問にひいでていたら、怠け者の男性たちからたたかれる時代であった。

いまもそのような考えがあるからあんた!と女性医師をどなることにつながるのだろうが。

あんた!と怒鳴ったら、普通は、無教養を恥じるのだが、恥じる教養もないからとんでもない社会になった。

 

戦後、国民の平等主義がすすみ、一億総中流になった。

 

ひらたく社会主義が浸透した国と日本がいわれる所以である。

 

人よりひいでること、かわった人がつまり個性があることは、わるいとされた。

だから世界からとりのこされた。

米国のハーバード大学院など発言しないと落第させられる。

 

つねに討論して主張しないといけない。

 

討論して主張したら日本社会ではたたきつぶされる。

 

ひとにみせない、なんだかの努力や苦労があり学歴高いのであり、金持ちにもなる。

 

運も努力のたまものである。

 

大概の日本の下級国民のとくに男性たちは、すべて自分は悪くない、回りがわるいになるかたがかなりいる。

 

それでは全く向上しない、

 

自分たちが努力も苦労もなにもしないで成功があるはずない。

年功序列は絶対にあと10年したら日本社会ではくずれさる。

 

一番古くさい業界の医療界でもくずれさる。

 

なぜなら医療保険制度が超高齢者社会でいままでのようにいかないからである。

これから、日本社会は激変していく。

女性が社会の上にいると全員で怠け者のばかな男性どもがひきずりおろすのが古い体質の医療界であり女性の院長や事務長は少ない。

 

あと10年したら医療界も激変する。

激変した社会についていけない人は、下流どころか、最下層におちる。

ホリエモンさんもにたような話をしていらしたが。

 

ホリエモンさんは嫌いなひとはきらい好きなひとは好きと両極端にわかれる。

 

私はどちらかというと彼の著書は好きである。

同意できない著書もある。

 

彼を大嫌いなひとはだいたいおもいどうりに人生をあゆめなかったかたがおおい。

 

ホリエモンは、自分のおもいどうりにいきているようにみえるから嫌いだになるかたがおおい。

 

たしかにかれは才能にあふれているし、著書読むと極端な発言もある、

がそれなりに彼が努力はしているのはわかる。でないと資産はうまれない。

 

日本社会の風習で、出る杭はうたれるので彼はうたれたような感じもする。

 

出る杭はひとしれず血のにじむ努力をしているがひとにみせない。

 

お金なくても自分だけの努力で上にのぼりつめた人はいくらでもいる。

 

私の回りで父親がいない貧しい家庭からそれこそ社会の上層部にいったかたもいる。

 

雅子さまとてご苦労なさり、いまがある。

 

私の高校時代のクラスメートは官僚がかなりいる。

 

かれらがどれだけ努力して学問にとりくんでいたかはよく知っている。

 

私などあのような努力はできない。

 

かれらは、夏休みも教室にきてバケツに足をつっこみ暑さをしのぎ勉強していた。

 

皆があの時代冷房ある家に住めるような金がある家にうまれたわけでない。

 

それをみた怠け者の私はかれらにはかなわないとおもった。

 

毎日かれらは、夏休みだろうが冬休みだろうが、1日中勉強していた。

 

のびのびと子供はくらしましょうといわれゆとり世代ができて日本の教育は衰退した。

 

日本の産業も衰退した。

 

あのように血のにじむ努力した人たちが官僚になり国を司るのは私は納得している。

 

あれやこれや不機嫌なバカなかたちは嫉妬からものをいう。

日本のおじさんほどうじゃうじゃ嫉妬にかられぐずぐずした民族もいない。

案外日本のおばさんはさばさばしている。

日本では、ある本によると男性の嫉妬は女性の非ではないそうである。

優秀な官僚に嫉妬する、嫉妬する、あなたがたは15才のときに7時間くらい学校以外で学問にとりくんできたのか?

スポーツでもよい、人並みならぬ努力した人に、それなりの敬意ははらうべきである。

 

スポーツしたかたには敬意はらうが、人より努力して学問つんだ人を日本は雅子さましかり排除してきた。

 

特に女性は排除されてきた。

 

スポーツで努力してきたひとはたたえるが学問ずけの若者が偉いとは誰もいわない。

 

フィギュアの羽生さんはたたえられるが、ハーバード大学に入学、日本の高校生がしてもたたえられない。

 

それを女性ながらやったのが雅子さまである。

 

皇后様は、ハーバード大学卒業して東大に入学してそのまま上級試験に合格したのだから、お世継ぎができないとかそんな下世話な批判されることないかたである。

 

戦前まではそうではなかった。

学問おさめたかたにはそれなりの評価あった。

女性ながらアメリカに留学した津田梅子などきちんとした評価うけ大学を設立したりした。

一億総中流といわれた戦後の日本では、皆同じでいけないのが、当たり前であった。

女性差別がひどく、優秀な人を排除してきたのは、戦後である。

たしかに戦前は、女性には参政権は以前はなかったが。

一億みんな同じでないといけないとされたのは戦後である。

とくに明治時代のかたがなくなった、平成の世にひどくなった。

がこれからは中流はいなくなる。

いきる社会が上と下に完全にわかれてくる。

なぜなら中流がなくなったからである。

本物が生き残る社会になる。

格差社会になったのは、国だけが悪かったのか?

 

米国はまさしく格差がひろがった国である。

マッカーサーは日本に平等主義をうえつくた。

なぜか?2度と歯向かわないようにである。

一億総平等で優秀な人材を潰すことは統治する米国には都合がよい。

しかし、いまは日本は米国にとりお荷物になりつつある。

 

日本は超高齢化社会になった。

 

優秀な人材は足をひっぱられ、日本では育たくなった。だから産業が衰退した。

 

それなのに超高齢者を養わないと日本はいけない。

 

日本はあらゆる部門で中国やインドにぬかれている。

 

優秀な頭脳は日本から流出している。

 

私は一億総中流にあぐらかきなにも努力してこなかった国民にも責任あると思う。

 

よその芝生はよくみえるで少しでもひいでいたりする人材がいたら皆でたたき、育てなかった国民にも責任ある。

 

中間層に標準をあわせた教育に問題がある。

 

能力別にわけたり飛び級あってもよいわけである。

飛び抜けた優秀な人材はいまの義務教育制度では完全に潰される。

個性はあってはいけない。

みんな同じでないといけない。

これが国力がさがった理由であると考える。

 

要するに、日本は、精神的に余裕がない人がますますふえていく。

親が読書しない家庭の子供は読書量がすくないというレポートがある。

読書量がすくないとやはり教養はうまず、知識量がへる。

しかし、日本の受験勉強には読書量は必ずしも必要でなかった。

親が読書する習慣がないと子供も読書しない。

育つ環境に本があるかないかは、そだつ子供の能力を決める。

これは、きちんとした統計がある。

本が家にない子供は、学歴が低いという統計がある。

 

ホリエモンさんは小学生のころ、自宅にあった百科辞典を全部読んだときいたことある。

百科辞典が家にある環境だったわけである。

いまはネットで本が家に一冊もない家庭があるかもしれない。

読書量がないと、無知になりきれやすくなる。

なぜか?きれて怒鳴るときに知識量があるといろんなことを想定、恥ずかしいとかもしかしたら、法にふれる、法にふれたら処罰されるとかである。

 

それができないのは知識量の絶対的欠如である。

 

まとめると、急にきれる人は、やはり不機嫌なばかである。

読書もせず知識がなにもないから不機嫌なバカでも恥ずかしくないのである。

 

きれやすい人は、恥がないのであり、殺人までの暴挙にいたることもある。

 

昔は親が恥ずかしいからみっともないからと注意したものである。

 

まあそういう人は、一生安定にすごすことはない。

 

一生の間に必ず、どこかで必ずしっぺがえしをくらう。

高齢者医療をしてきて何千人とみとってきたが、その人の人生、すべてがでるのが死ぬときである。

 

つねに上機嫌で、先生とてをふっていたおじいちゃんは百歳でおだやかに旅たった。

 

このおじいちゃんは、沖縄戦で戦ったかたで非常なインテリでもあった。

 

怒鳴ることしかしないまたは自分のことしか考えないような人は、妻にみすてられ、最後悲惨な最後をとげたかたもいる。

 

あるいつもニコニコしていたキャリア・ウーマンのはしりのおばあちゃんは、子供たちにみとられおだやかになくなった。

 

飲んべえで怒鳴るしかしない旦那を30年前においだしたとはなされていた。

 

縫い物をして、学校までつくり子供たちを立派に育てておだやかに旅たっていかれた。

 

回りに怒鳴ったり目上のかたを敬わないようなあなた!老後はありません!恥を知りなさい!といいたいがなにをいっても無知なかれらには通用しないだろう。

今に日本社会が激変して最下層におちる危険性はそのような人間はある。

 

まず他人を批判するならできることから努力することである。

いくつになっても学べる。

努力もなにもしないで、他人を批判するなど不機嫌なバカだからである。

いまから最下流国民がふえてくる。

たとえばいろいろ中傷されるがZOZOTOWNの元社長など自分でえた資産である。

彼の才能や努力は認めるべきであるが、ばかな不機嫌な人はまず批判からはじまる。

 

努力や苦労しない人は、下流国民になるのはしかたない。

 

一億総中流などもうない。

本物だけが平成は生き残る時代になる。

偽物は消えうせる。

雅子さまの評価が令和になり高いのはそのためである。

本物の教養ある皇后様だからである。