スペイン風邪、関東大震災、東京大空襲、広島原爆とすべて体験してコロッとある日なくなったあっぱれな祖母👵
私の父も祖母も広島で被爆している。
その影響のためか私は免疫の病がおきやすい。
広島に原爆がおとされた日のことは祖母にきいている。
父は爆心地の中学にかよっていたが、その日体調わるく休んだそうだ。
だから同級生がほとんど爆心地で即死したと。
怠け者が助かったと非難をかなりあとからうけたようだ。
なぜ鹿児島出身の父たちが広島にいたか?は、
沖縄に米軍がきてあぶないと、祖母が自分のふるさとの広島に父つれ疎開したようだ。
そこで被爆するのだから、人生はなにがおこるかわからない。
じつは祖母と父は、それ以前東京にすんでいて東京大空襲にもあっている。
祖母は、なんと東京で育っていて、関東大震災にもあっている、
これだけ悲惨な過去があるのにかんらからからと明るくほがらかに祖母はいきていた。
おおざっぱな女性だった。きもがすわった女性だった。
すべての経験をもっときいとけばよかった。
関東大震災、東京大空襲、原爆とすべてあった日本人もそういまい。スペイン風邪のときもいきていた。
コロナで苦しい日々だし、男女差別はあるしの私だが祖母にくらべたらまだまだだなあと、私はまだまだ甘いかもしれない。
ただ祖母は、わたしが悲惨な経験をきかないかぎり、あまり被爆や戦争や、地震についてかたらなかった。なぜか?は、いまだからいえるのはおもいだしたくなかったのだろう。
すべて経験したのに本当に幸せそうにしていた。ある日昼御飯たべたあと、つまらせたのかあっけなくなくなった。
私はその場にいなかったが昼御飯おいしかったが最後の言葉だった。
最期もあっぱれであった。
苦しまずコロッとなくなり家族もみな、あっけにとられた。病にふしていたのではないし、びっくりであった。
神や仏は、いるのかなとおもった。
苦労して前向きにいきてきた人に最期にコロッとなくなるプレゼントをしてくれたにちがいない。
医師が話すことではないが、そうとしかおもえない。