riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

日本三大災害にあい元気だった祖母👵にバカウィルスにへたっていたら怒られる‼️

新コロナウィルス騒ぎで私は疲れたが実感、コロナウィルスバカー😭と熊本市長のようにいいたい!

しかし、私の祖母は、

関東大地震東京大空襲、広島原爆すべてに罹災した、祖父は、広島原爆だけは戦争にいっていてうけなかった。

まああの時代日本中をあちこちするたびに災害やら原爆にあったようである。

ついていないと普通なら、鬱になりおちこみそうである、

しかし、まったく惨事にあった人間とはおもえず、明るくおおらかな祖母だった。

笑い声と大きな声、私にキャラメルくれるときもキャラメルの箱をきちんとあけず、箱をやぶりくれた。

細かいことはあまり考えずおおらかであった。

真面目で細かいことにもきがつく母とはどうもおりがよくなかった。

私は祖母にそだてられたので性格は一番一族では似ているかもしれないが、祖母くらい明るく惨事を笑い飛ばない。

祖母は、関東大地震のときは、女学生であり、とっさに鉄道の線路にはしっていった、と地面に割れ目ができると危ないとおもったからと話していた。

広島原爆は、広島市の隣街にすみ、父が中学生であったと聞いている。

父は広島の中学に通学していたが、その日たまたま体調悪く休み命が助かったそうだが、被爆はした。

同級生はほとんど亡くなったそうだ。

祖母も父も被爆手帳をもっていた。

ピカとひかったらしい。そのあと、うそか本当か、祖母の話だとからからなにかふってきたと。

その後隣町の広島から人々がただれた皮膚を洋服のようにひきずりぞろぞろ帰ってきたとはなしていた。

やけどあとにウジ虫がわくため、祖母たちは町内の婦人会で、皆のウジ虫とり、看護をしたとも話していた。

感染症のかたを差別する今の時代とくらべたら隣近所助け合い暮らしていたようだ。

東京大空襲のときに上野に住んでいて倉ににげたと。倉はもえなかったと。

私はそれだけしか祖母から聞いていない。

いつもほがらかだったし、国にたいしてもアメリカにたいしても恨み節などきいたことない。

今考えたら被爆のせいで喘息の症状もあり体調は決してよくなくいつも休んでいたが、明るいことこのうえなかった。

いつも前向きだった。

私は被爆の遺伝のせいか免疫機能がどうもよくない。

流産はしやすいし、喘息はあるしリウマチもある、祖母も喘息はあった。

たんをつまらせあっというまに祖母はなくなった。

そのお葬式は、たんなる主婦だったのに

500人ものかたがきて、別れをおしんだ。

多くのかたに、本当にすかれたかただった。

新ウイルス感染症ごときに、疲れていたら、祖母におこられるなあと最近おもう。

買い占めに走ったり、マスクを転売したり、昔のいろんな災害やら戦争にあわれたかたからしたら、愚かなことであろう。

なぜ今の時代は、自分勝手な人であふれかえっているのだろうか❓️

ウィルス感染症よりひどい病がいま日本を流行っている。

喘息が私はあり咳するので、電車やバスにいまのらずにいる。

咳しただけで電車でトラブルおきているからである。コロナウィルス騒動で世の中狂ってきた。

日本は、やはりダメな国になった。戦後たちなおったのは、みんなで頑張ろうと国民みんながおもったからである。

いまは、自分だけよければよいのだ。

マスクの転売や買い占めなどはまさにそうである。

ダメな国で、後進国である。