riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

ジム通いは、高齢者の健康には役にたたない⁉️

年はだれでもとる

だれでも年は平等にとる

ジム通いは果たして老後の健康をたもてるか?

これについては、なんともいえない。

なぜなら、アスリートが全員元気で長生きできるとは限らない

高齢者に歩いておられますか?の質問によくあるのがジムにかよってますからが答えにおおい。

定年後経済的余裕あるかたがよくいくところがジムである。

1日いてもよいし。おにぎりなどもって1日中時間つぶせる。

健康以外の面では、経済的に余裕あるかたは、家にいるよりは、精神的によい。

健康面でジムにいっているから、健康で長生きできるとはいいがたい。

健康で長生きできるにはどうしたらよいか?

なによりも大事なことは、前向きにいきることである。

暇になると、じぶんの健康にしか興味なくなるかたもいる。

1日中体温はかり、36どだいでも朝、夕とはかり異常だと外来こられる高齢者もいる。

なんでもないですよといい検査しないと、やぶ医師になり不親切な医師になる。

いっぱい検査してなにもないとなると安心される。

だいたい、暮らし向きに困らない高齢者におおい。

暮らし向きに困る高齢者は、そのような余裕はない。

今後年金が削減されていくとこのような高齢者は将来はへるだろう。

健康で一番大切なことは、精神的に健康であるかいなかである。

精神的に健康でいるために経済的に余裕あるならジム通いもよいだろう。

図書館など定年後の高齢者で晝間はこんでいるときく。

最近ジムでも高齢者狙いの悪徳業者がいる。

在宅医療は、医師や資格ある業種がおこなうものである。

あるジム経営者で、高齢者の自宅まではいり親切にして、入院などもつきあい、お金をまきあげた話もある。

精神的に自立している高齢者はだまされることはない。

最近の高齢者をみていると経済格差は、かなりひろがっている。

お金持ちでも幸せとはかぎらない。

一番幸せなかたは、精神的に自立しているかただとおもう。

一人でも暮らしていける強さがないと、これからの超高齢者社会はのりきれない。

夫婦一緒に死ねるわけでなく、必ず一人になる。

どうも男性のほうが精神的に弱い感じがする。

女性は一人でも暮らしてなんとかいけるしあきらめもある。

私に先生は男性並みに働いているから仕事から引退などできませんよ、寂しいでしょうといわれるかたもいる。

しかし、女性だからかもしれないが、一人で家にいるとやることがやまのようにある。

まず外食はめったにしない。

自炊である、パンも焼くし、お菓子もつくるし忙しい。

また、英会話など学ばないとすぐ忘れる。

いつか息子が働いているアメリカに一人でふらっといってやり、息子を驚かそうとひそかに考えているから、英会話の勉強はかかせない。

本も読まないといけない。掃除や洗濯もある。

映画もみたい。今はこれらすべて家でできる。

英会話スクールいかなくても、映画館にいかなくても。

AlexaなどのAIがいればすべて用がたりる。

ただ、だれかにはなさないといけないかたは、寂しいかもしれない。

噂できいたが、電話でただ他人の話だけをきく商売もあるそうである。

そんなことにお金をつかうのはもったいない。

若々しい80代のかたたち

生きる目的をもつことが一番大事ではないかと、私の患者様で85才で何でも屋みたいなことをやっておられるかたがいる。
彼いわく、高齢者になると女性独り暮らしがおおいので電球がえなども困るらしい。

それで、彼いわく地域のなにもしない定年後の若い衆→70代の男性たちらしい、をつれ近所のご用をうけたまわっているらしい。

そのように目的あるかたは、大きな病にもならず認知症にもならない、忙しいからと外来は朝早く一番に予約される。

ジムにもいかれないが、足腰は元気である。

またつい最近まで現役の美容師だった83才の女性はおきれいで60才くらいにしかみれない。

彼女は、いまでも毎日家で動きまわっているらしい。

毎日が家事とかで忙しいらしい。

外来こられるときも、お金がかからないさりげないおしゃれをしておられる。きちんとみなりはととのえ、うす化粧しておられる。

私のあこがれの女性である。

彼女も特別にジムなどかよっていない。

まとめ

ジム経営者には、 申し訳ないがジムにかよっていて、元気な80代以上の高齢者にあまりおめにかかっていない。

精神的に健康であることが一番の若々しく元気でいられる原因だとおもう。

そのためには、くりかえすが生きる目的もつことである。

お金がない、寂しいとか負のことばかり考えないで生き抜くことだとおもう。