riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

精神科医を在宅診療できるように保険診療の改正を❗️嘱託殺人おこさないために

延命処置をほどこさないのと殺すのは違う。

ALSのかたを在宅で診療していたことあるが、頭はしっかりしておられるのに体が不自由になり患者様は辛い

だから、うつになり死にたいと思われてもしかたない。

だから、精神科の医師が往診できるシステムを国はつくってほしい。

認知の悪化したかたとか精神科の医師が診療したほうがよいことがある。

在宅診療を精神科の医師が往診してもいまの保険診療システムでは、人件費もでない。

精神科の病院で在宅診療やりたいという病院あるが国が整備しないのでできない。

精神疾患で病院にいけないかたとかもおられるのに、国は整備してくれない。

在宅診療は内科医だけでなく精神科、皮膚科、眼科などが必要なことがおおい。

難病のかたには精神的ささえが必要である。

精神科医師が在宅診療にいき適切な治療していたら今回のような事件はおきなかったのではないか?

精神科医師の依頼でカウンセラーなども在宅にいき、介入していたらと悔やまれてならない。

注射一本で楽にしてあげましょうなど医師の傲慢、自己満足にすぎない。

逆に延命処置を望まない高齢者に、医療利益あげるためにいろいろ処置をして苦しませる医師がいるがこれも医師の自己満足である。

双方の医師に共通していえるのは、医師になり20年目くらいなかたがおおい。

今回の事件の医師もそれくらいである。

自分はなんでもできる医師だとおもいあがる年齢である。

サラリーマンなら40代くらいが大卒後、20年くらいだが、仕事はできると、おもいあがりやすい年ではないだろうか?

人間的にはまだまだなのにが私の意見である。

この事件の医師は認知のひどい高齢者がいきていく価値がないといっている。

そんな医師は、医師の資格はないしまだまだ認知のかたをみた数が私の3分の1くらいだろう。

認知になられ、自分のこともよくわからなくなったとおもわれたかたがある日、見事な人生にたいするおもいを書いたのをみたことある。

我、なになになりと紙にかかれており、介護しているかたとビックリしたことがある。

認知だからなにもわからないなどと接しては断じてならない。

かれるようになくなるとは、本来の老衰のなくなりかたをさすのであり殺人ではない。

この事件の医師は未熟のひとことにつきる。

認知のかたが生きていて価値がないなど決してない。長い人生をあゆまれて、それなりの人生をすごされてきたかたたちである。

確かにこの事件の犯人の医師がいうように若いときに、家族に暴力やらなんやら加え家族にみすてられたかたもいる。

だから生きていく価値がないにはならない。

そのような認知のかたの介護を施設で、やっておられるかたの苦労も未熟な医師は知らないのであろう。

難病やら障害かかえたかたを毎日介護なさっているかたもいる。

あまりにも医師として未熟だったというしかない。

殺人するまえに、精神的ケアをする方法をなぜ考えられなかったのか?

この世の中に不用な命などないと私はおもう。患者様の治療に関しては普通はご家族とはなしあう。この医師はたんなる自己満足である。

やはりご家族やら周囲のかた特に世話していたヘルパーさんとも話したり主治医とも話したりするべきだったと考える。

この患者様の精神的ケアはどうなっていたのか?

独りぼっちだったのか?

私は24時間世話していたヘルパーさんがいたのだから独りぼっちだったとは考えにくい。

寝たきりの独居でもヘルパーさんが世話をして、ヘルパーさんと家族以上の暖かいつながりをきずいたかたを私はしっている。

支える人間は家族だけとは考えない。家族が同居して世話していないから寂しいとか可哀想とは決めつけてはいけない。

医師としてまだまだ未熟で、あまりに早急な、決断であり、それが嘱託殺人に走らせたのではないか?