リウマチお一人様死闘の闘病記‼️死をまねく恐怖のインフルエンザ‼️
年をとり死ぬこと❗️
誰でも年をとるのは初めてである。
年をとるということは、自分が体が動かなくなるまでわからない。
高齢者の仕事をサポートとしている多職種のかたがたも40代50代ではわからない。
先生は患者みないで、いわゆる隠居したらとリウマチで体不自由になったとき回りにいわれた。
そのとき引退する高齢者の気持ちがわかった。
リウマチはいまや寛解する病
リウマチ治療はすすんでいるので体は不自由にならないと確信はしていた。
リウマチの治療を知らない医師たち
医師なら普通はそれくらいわかるが私の回りの医師は残念ながらリウマチの急性期をみたことないから私が身体不自由になるとおもったようである。
気持ちのもちよう
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回りがそうおもうと私も頭では体は不自由にならないとわかっていてももうだめかとおもった、
やっと高齢者の動けないかたの気持ちがわかった。
地獄のお一人様闘病記‼️
情けないかぎりであった。おとしたものをまずひろえない。
トイレにいくのも一苦労。
体中が痛い。
夜中も痛くてのたうちまわる日々。
それに加え職場からは、苛めもあり。
子供はアメリカだし、なんとか独りではいずりまわり、犬は昼間はあずけた。
車椅子で外来
仕事も車椅子にのりやった。
車椅子をその当時おしてくれたのは、職場ではわずか。
ドアさえあけるのが困りはてていたが、苛め一派が恐いのか困りはてていても助けてもらえなかった。
エレベーターで困っていたらなんと患者様が車椅子をおしてくださった。
いじめがこわいのか⁉️
病院職員がみてみぬふりしているなかでである。
私を苛めていた人間が管理職なので、みんな私にはかかわらないようにしていた。
暖かいお掃除のかたがた
しかし、病院のお掃除をしてくださるかたがただけはちがった。
みんな私をエレベーターにのせてくれ、おりる階までおしてくれた。
高学歴の医師や大卒の事務職など、かれらの足元にも人格的に及ばない。
私が困ってるとき助けてくれたのは、わずか数人である。
ほぼ全員私が歩けるようになるとはおもわなかったらしい。
勉強不足もはなはだしい。
わたしはリウマチは生物学的製剤で寛解することは医師なのでしっていた。
薬の副作用で感染はしやすくなり疲れやすい。
いまは、この副作用とたたかっている。
わずかな体力で仕事をして日常生活をおくらないといけない。
まず、体重をおとすことにした。車椅子のときは人生最大にふとった。
太ると動くとき大変である。
食事療法
半年でいま11キロおとした。
とくべつになにかを制限したわけでなく、あらゆる食材をとることにした。
おかずは必ず三種類、パンも自分でやく、ご飯は一週間ぶんなべでたく。
外食や出前、コンビニ食などはいっさいやめた。
食は、薬より大事
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サプリメントではなく、食事にこだわった生活している。
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朝はあらゆる食材とる時間ないので、野菜などをスムージーにする、ヨーグルト、卵、バナナ、豆乳、ハチミツ、ほうれん草、ニンジン、青汁、大人のミルク、バルサミコ酢を少しいれジューサーでかきまわす。きな粉もいれる。
バナナたべたら糖質があがり太るとかばかな話をするかたもいるが食べ過ぎなければ栄養不足をおぎなう。朝はしっかり糖質もとらないと脳の力が衰える。
脳は糖質で活動する。
リハビリ
ボディーボードはやはりなにかあると危険だからいまはやめている。
歩くのが一番大事なリハビリだと考えた。
だが、歩くのが目的だと辛い、それで、なるべくでかけたときはわざとあちこちあるくようにした。
歩くのは元々苦手なので、でかけるときに歩き回るようにした。
体重がおちたら歩くのが楽になった。
リウマチはいまはある程度なおり日常生活がおくれる病になった。
生物学的製剤のききめはすごい‼️
一週間に一度自己注射しているが、うつとかなり調子よい。
リウマチになりいろいろ勉強した。
人間のこと健康のことなどである。
私は自分がリウマチになってから自分の外来で何人かリウマチのかたをみつけた。すぐ、専門医を紹介した。
リウマチの診断は普通の医師はまずできない。
血液検査してちがいますよとまず話す。
やぶ医師になると年だからあちこち痛いのだになる。
わたしは自分がリウマチと診断して専門医にいくまで一年かかった。
まさかであった。
パワハラと激務によるストレスで免疫が異常おこしリウマチになったのではと考えているが。
リウマチは寛解、つまりなおった状態になる病になった。しかし、薬の副作用はあるし、痛みもすべて消えるわけでない。
でも生きないといけない。
くだらないやつらに苛めをうけている時間などない。
わずかな体力で生きていかないといけない。
恐怖のインフルエンザの季節
リウマチ治療をしている人間にとり感染は死を意味することになりかねない。
医師はインフルエンザ患者をさけることなどできない。
冬は、私にとり恐怖の季節である、が戦わないといけない。
地域のかたがたの応援があるからである。