riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

いじめはしてはいけません‼️生きるためにかいているブログ‼️素敵なカラオケバーのママの人気ブログ読み同感‼️

 

知り合いのカラオケバーのママのブログみておどろいた、

 

そこにもすごいいじめがあったのだなあと、

 

ブログのコメントに、酒を水増ししたとか色々かかれたようである、こんなことをかかれたら客商売はたまったものでない。

 

そのかたのブログはとてもおもしろい。

 

わたしがしらない業界の裏話とかかいてある、

 

客よせのための商売用のブログではない。

 

ママの気合いを感じた。

 

来たくない人はこなくていいのよと。

商売のことだけでなく、生活すべてをかいていらした。

日常でおこるさまざなことである。日記ブログであろうか?

 

素敵ないきかたがかいてあった。

毎日感じるお客様とのはなしとかかいてあった。

はやく夜には、お客にかえってほしいとか。ママの本音である。

 

ブログとは、そのようなかたの考えやいきかたをかいまみて色々考える材料になる。

参考とか自分の考えにそぐわないブログも私がよんだなかにはある。

 

みんな考えかたはさまざまであるから。

 

もし、わたしが密室のいじめをブログにかかなかったら、誰がわたしを助けてくれたであろうか?

 

私を救ってくれる人はブログかくまえは一人もいなかった。

 

書いたおかげで、いろんな各方面のかたが助けようとしている、というより女性医師の差別にとりくもうとなさっている。

 

いまは小学生でもいじめにあい自殺する。

 

相談した、警察官は、いじめにより自殺するとその人は、二度死ぬことになると話された。

 

自殺で一度死に、さらに自殺したことで他人にあれやこれやいわれ、結局二度死ぬと。これは警察官が話したことである。

 

私がひどいいじめにより自殺することが一番恐れていると警察官がいわれた。

私が自殺するなどいじめた側はおもっていないだろう。

それくらい私をおいこんでいる。

転勤させたらよいだろうが、転勤とは病のわたしが一人で引っ越しすることである。

犬もいるし、頼りの息子はアメリカである。

どんなに大変なことかがわからない。

まったくなにをしてもよいとしか苛められている人をおもわなくなっている。

なぜいじめられたわたしがそんなことをしないといけないか?

しかし、警察官は非常に心配だといわれた。

地域の私の患者様にいじめを公表して助けてもらいなさいとはなされた。

自殺はしたらだめですよと警察の担当者の連絡先もいただいた。

 

いじめにあっている人の気持ちはまわりにはわからない。

 

地域に理解してもらい、自殺などしないために地域に種をまきなさいと警察官は本気で心配されはなされた。

 

いじめは、絶対によくない。

 

私の患者様に保育関係のかたがいて、ご自分もすごい苛めを職場でうけたことがあるそうである。

密室にとじこめられいじめられたことあるそうである。

いまは、経営にちかい立場のお仕事らしい。

密室でいじめにあったことないかたは、その恐怖感がわからない。

そのかたも同じことをいわれていた。

私は密室のいじめ後、夜中にうなされたり、不眠になったりした。

同じ立場におかれた人しかわからない。

先生とブログよまれたかたはてをとられ涙ながされるかたもいた。

警察官がはなしたとうり、味方になってくれたのは地域の患者様たちである、

恐怖感しかないから、本気で怖い。

私がそれほど怖いとはまわりはおもっていないだろう。

それがいじめである。

 

 

そのかたは、子供の苛め問題にもとりくんでおられる。

そのかたは苛めとは、二度ひとを殺すと、警察官がはなしたとうりで、自殺にまず人を皆でおいこみ、つぎはその人が死んだあと回りは忘れさる。

 

人ひとりが死んでもなにもかわらず毎日がすぎる。

子供たちがいじめで自殺しても、まわりはなにもかわらずすぎる。

 

二度死ぬといわれた。

 

ママのブログ拝見したがママは正直にいろいろかいておられるだけである。

いまは、自分がおいこまれたら世間の見ず知らずのかたに助けてもらえる時代である。

 

 

ママのブログよみ、このかたは正直な自分の気持ちをかいているのだなあと。

 

だから、人気ブログであるらしい。

 

わたしはママがうけた否定的な、激しいコメントより、頑張ってくださいのコメントをかなりいただいている。

 

はてなブログのなかの読者数も200人こえている。

 

たまには、他人のブログみてみると色々勉強になるとおもった。

 

同じようなことを経験したものどうしでしかわからないこともある。

ママがうけたいじめ、保育関係のかたがうけた職場のいじめ、ブログをかいたからこそ、皆さんがわたしもですと、声をあげられている。

 

まとめ

 

ママがかいているブログが、人気ブログのゆえんは、ママがかく毎日の話が妙に心にひびく。

日記ブログかもしれない。

客をあつめるためのブログでないことがスゴいなと考えた。

私へのいじめが一切なくなればいじめについてのブログはやめるつもりである。

いじめとは、人は、絶対にやってはいけない。

もし私がいじめを公表しなかったら自殺においこまれていたと考える。

警察官にたすけられた。

警察官も本当にいじめにあい被害にあったことははなしたほうがいいと親身になってくださった。

警察はいじめに動かないというはなしがあるが親身になってくださった。

子供たちはいじめで苦しみ自殺があいついでいる。

私になにをしてもよい、自殺しようが転勤しようがではない。

 

苛めさえなくなれば公表することもない。

苛めを他人にしたら絶対にいけない。

いじめで自殺したかたをあとからみんなが苛めをしらなかったという。

子供たちが自殺してから、まわりがきずく。

親御さんが学校をよく訴える報道がある。

わたしはいじめは、うえのかたの指示もあり、会社のパワハラ部門にきちんと相談したが結局だめだった。

そのうちに、いじめはまして密室へのいじめになった。

警察官、法務局人権擁護委員会のかた、皆さんが心配なさってくださった。

いじめている自覚は、普通のいじめにはないといわれた。

被害者だけがいじめがあるという。

訴えた被害者をおかしいというのが社会。

いじめられた子供たちは、おまえがおかしいとクラスのみんなにいわれる。

加害者はいじめた意識すらない。

だからいじめは世の中からなくならない。

苛めさえなくなれば、ブログにかくこともなくなる。

いじめは、とにかくやめてほしい。

とやかく私の噂とかするのもやめてほしい。

一度ふかく心に傷をおうと、恐怖感がさきにくるので私的に、他人とあうことがいまは、怖い。

心から信頼している人としか私的には、あえなくなってきている。

それ以外は、本当に卒倒しそうなくらい心に深い痛手をおった。

完全なPTSDである。

医師でも心に傷をおうことがわかっていないから集団で密室でいじめになる。

医師も人であり子供をもつ親である。

私になにかあれば家族は、友人は、怒り悲しむ。

当たり前である。

職場のかたはこのブログは困るとおもうし、わたしも違う立場なら職場での話はするなと、おもう。

私の知人は、公明正大な立場から、集団いじめを管理者が、まずしなければよかったし、いじめた事実あれば、被害者の心情をかいした方法、つまり謝罪などあればこのようなブログは必要なかったとはなした。

私の心情をおもいはかるかたがうえにだれもいず、だれも助けてくれなかったらいじめの公表したほうがよいと警察官にいわれた。

職場で、社会的地位あるだれかが、助けてくれたら、ブログにかく必要はまったくなかった。

警察官や法務局も同じこといわれた。

警察官に相談する必要もなかった。

三者のかたは、辛いことをよく書いたといわれる。辛いことをかくのもいまの心にきずをおった私には、非常に大変である。

ブログにあげなかったらわたしは自殺においこまれていたとおもう。

おおくの見ず知らずのかたに助けていただいた。

いじめはあったのだから発信しなさいと警察官からいわれた。

地域に種をまき、助けてもらいなさいと。

種をまいたら見ず知らずのかたに励ましてもらえ生きる希望をもらった。

私はだまって鬱になり自殺でもしたほうがよかったのであろうか?

ストレスによりリウマチになった。

助けてくれるどころか病になったことで、色々指摘すらされた。

病になったから云々と。

体が不自由になり、自殺を考えた時期があったことは第三者の警察官、法務局のかたは理解していただいた。

体が不自由になり辛いからブログをかきはじめた。

生きることがつらかったからである。

なぜ、ブログをかいてきたか?は、生きることを一時やめようと歩くのさえ不自由になり精神的にもPTSDになったからである。

 

普通に生きているかたには想像できないかもしれない。

こんなブログとおもわれるかたもいるかもしれない。

 

外来にたくさんの患者様がこられることだけがいまのいきがいで、私のささえである。

世の中からいじめだけはなくしてもらいたい。

いじめがなくなればブログにいじめについてかくことはなくなる。

 

車椅子生活でえた大事なこと

 

体が不自由になり車いすに一時期なった。

そのときにエレベーターをあけてくれたり、話しかけたりしていただいたのがお掃除をしているかたたちであった。

体が不自由だったから本当に助かった。

必ず車椅子をおしてくれるかたもいた。

わたしは一生そういうかたを忘れない。

車椅子生活とは大変であったから助かった。

いじめは本当に一部の偉いかたたちである。

暖かい人もいた。

患者様なのに私の車椅子をおしてくれるかたまでいた。

体が不自由になった絶望と精神的な打撃をうけたショックから生きる希望がブログをかくことであった。

いじめさえなくなればブログにいじめをかく必要ない。

おさななじみと食事する予定である。

おさななじみは村からの生まれてからの友である。

精神的にきずをおい、私生活であえるのはおさななじみ夫婦と友人だけである。この三人しかはなせない。あとはいまは、こわい。

 

まわりにはわからないだろうが、いじめをした人とは、怖くて怖くてめんとむかい、はなせない。

すれ違うだけでこわい。

恐怖がある。

友人の精神科医はいじめによるPTSDだといった。