riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

ある日突然職場が倒産したときに必要なこと‼️

実は私は職場が倒産したことある

勿論医療機関である。

それも小さなクリニックとかでなく中規模の医療法人である。

クリニックとか病院とか何軒もかかえた医療法人である。

20年以上の前の話であり、もう時効であるから話をする。

この法人の理事長にはいまだに感謝している。

職員だれも私も倒産するなどおもっていないときに、と突然私は経営者の都合で解雇するといわれた。

理由もわからずで、弁護士に相談しようかなやんだ。経営者都合だから月給は2ヶ月分しはらわれた、

それから1ヶ月後、その医療法人が倒産したときに、他の職員は普通の給料さえもらえなかったときいた。

経営者は私をわざと解雇したのだとそのときにきずいた。あるかたから経営者は先生だけ逃がしたのですよといわれた。

かなりのクリニックや病院があったがすべて閉鎖された。

その後この医療法人の経営者のことはきかない。

風の噂で事務責任者が自殺をはかったときいた。

閉鎖されたクリニックの事務長のなかには、金銭をどさくさで持ち逃げしたものもいると風の噂にきいた、

あとから私だけ給料2ヶ月分もらったときいた、

感謝している、

銀行があちこち倒産した時期でもあった。

そのときに考えたことは、日本もいつまでも職場が自分をまもってくれるなどありえない、自分は自分でセキュリティーガードをもつしかない。

それは何億もお金をもっているにこしたことないが、解雇されたとき助けてくれたのは人である。

人は石垣、人は城といったのは武田信玄だと思うがそのとうりである。

 

私をそのときにすくってくれたのは、医師の人材派遣それもその当時は、女性医師だけを派遣する女性社長であった。

次の職がみつかるまで、いまでいうとバイトをさせてもらった。

あるスナックでつちかった人脈

当時は六本木にまだ防衛庁がある時代である。
そのちかくに小さな会員制のスナックがあった。
ママは日本初の国際線スチュワーデスでいまのC A と違い迫力があった。
勿論英語はベラベラであり博学だった。
ママはきにくわないと客をおいだした。会員制だが会費はなく一人3000円くらいでのみほうだいであった。

ここには、私はある女性出版会社社長に連れていってもらった。

この子ね、40才そこそこなのに高齢者が大好きだといい高齢者医療しているのよとその社長に紹介された。

私は高齢者が大好きで、まだ介護保険すらはじまっていなかったが、高齢者の医療をしていた。

高齢者医療を専門にそれも若い医師がするなど珍しい時代であった。

高齢者がこんなに増えるなどだれも実感がなかった時代である。

そこのスナックの客層がいま考えてもすごすぎた。

ある有名な銀行の頭取、以下重役、またはもと頭取、有名な信託銀行の副頭取とか、日本一おおきな弁護士事務所の経営者の弁護士とかである。当時から皆様アルマーニのスーツであった。バブルだったこともあるが。
ちなみにママは自分がいそがしくなると日本経済のトップにいるようなかたにちょっと、手伝ってよと水割りとかつくらせていた。おじさまたちは楽しそうに使われていた。
職場でかれらに命令などする人がいないから新鮮だったのだろう。

私はまだわかく、その偉いかたがたからおもしろいお嬢ちゃんだね。

お年寄りが好きなのか、若い医師ならもっと違う病に興味もつのに、でも日本にとりよい選択かもしれないといわれていた。

銀行をやめたらおじさまたちは、高級ホテルの経営陣に天下りとかしていた。

勿論女性たちも社長とか、そんな感じなかたがたである。いま考えたら医師は私しかいなかった。

それとかれらは、すべて東大の文系出身であった。

ハワイ航路という歌謡曲があるが、それがかれらは好きで本当に船でアメリカに仕事をしにいったようである。

かれらは、女性差別など一切なかった。

女性の社長とかもかなりいたが、わたしにはわからない経済論などを彼女たち私からしたらお姉さまたちとかたりあっていた。

私はただきいているだけで、ときたま、ハワイ航路うたってよ、美空ひばりうたってよでカラオケで横でうたっていた。

いま考えたら、そのときにいろんな物事、所作などを学んだような感じである。そんな日本の経済界のトップたちをみるなどそれまでなく毎晩かよった。

いろいろ意見はあるだろうが一流の人間にはそれなりの所作、物事の考え方があり大変勉強になった。

そこで、私の人脈はつちかわれていった。

防衛庁がなくなりかれらも年をとりママも高齢化して店はとじた。

私のつちかった人脈のかたがたも年をとった。

そこの店の末席にすわっていたある銀行の支店長がいまやその銀行のトップらしい。

私と同じ年だったのできがあい、男どうしのような、つきあいをした。

ある日彼に住宅ローンくませてくれといったらやめとけといわれた。

銀行員の俺が住宅ローンくまないんだよと賃貸に住んでいると、ほしいときはためて現金でかえと、銀行に利息はらうなといわれた。

いまかんがえたらいいやつだなあと。

店がつぶれてから彼にあっていないが、突然オッスと重役室にいったら驚くかなと。

私いまね、職場の男性陣にいじめにあったりどなられているのよといったらワッハハ、と豪快に笑いとばすであろうな、

よくかんがえたらいま私がつかっているメインバンクでないか、職場のメインバンクのひとつではないかと昨日きずいた。なにかのえんかなと、

セーフティガードは金でなく、人垣

私にはお金はないが人脈だけはある。

ありがたいことである。

これが医師には人脈が少ない。

医師で仲良しは、高校のときの同期生か、職場の女性医師

くらいである。

今の職場の男性医師からは、ものすごい嫌われようであるし、どなられる始末。

私を嫌う男性陣はいまの職場だけであるのでびっくりするやらなんやらである。

他の業種にはいっぱい人脈ある、これが私の宝である。

いざ、またなにかあっても自分をまもる人垣のセーフティガードはつくっておくべきだとかんがえる。