淘汰されるビジネスマン‼️サービス業種だけでない❗️
これは10年も前にかかれた本である。
しかし、いまの日本で再度読みなおした。
日本のサラリーマン、わたしも含めて目立たず、回りにあわせて、あまり一人だけやる気をださずに成果より調和が大事といわれてきた。
なにからなにまで上からの命令に従わないといけない企業が日本はおおい。
各自のイノベーションはもってはいけないことがおおい。
上からいわれないと創造性のある仕事は、やりませんが日本型サラリーマンの美徳であった。
私にやる気をだすなと忠告したかたもいた。
目立つな、毎日淡々とすごせと、私のことを考えてのことだろう。
やる気だして目立つとたたかれるからである。
やる気をだし、目立つとつぶされてきたのが日本社会。
学校教育もなにより平均層を中心に教育されてきた。しかし、今回の感染症騒動で、尾木ママも話しておられるが格差がかなり教育にでた。
休校機関、しっかり教育された子供と毎日家でゲームしたりして教育されていない子供とに差がかなりでた。
この教育の格差がいずれ社会の格差をうむ。貧困格差をうむ原因になる。
日本の横並び制度が嫌で自分の能力は認められないと日本をすて、アメリカ国籍になったかたが、メーキャップアーチストになり二度もオスカーとった。
日本だと彼の才能はつぶされていたであろう。
しかし、アフターコロナは違う。
テレワークになると成果がとわれる。
職場の調和力でなく成果のみが評価になる。
みせかけの勤勉で朝から晩までただ目立たず、上司の顔色みて机にすわるなどテレワークでは必要ない。
日本の生産性がおちてきのは、このみせかけの勤勉からである。みせかけの勤勉は、禅の僧のようだと私は長らくおもっていた。
耐えに耐え修行僧のようにみえた。
私の知り合いでもう定年したかたがこの忍耐した褒美に退職金をもらったのだと話していた。
わたしは、小さいときまわりは、うちも含めてすべて兼業農家であった。
農業のあいまに、ほかの会社とかに働きにいっていた。
朝、畑に水をまいたりしてから会社にいっていた。
だから、みせかけの勤勉より、早く仕事すませ、農作業しないといけない。
畑や田で仕事をしないといけないから、毎日忙しい。
上司が帰るのをまってから帰るとか、飲み会につきあうとかない。
地域の飲み会はあった。
自分の家庭で食べる作物はつくっていたのだからいまのサラリーマンよりは、強みかもしれない。
みせかけの勤勉なサラリーマンが多くなったのは高度経済成長期からである。
それまでは、農耕民族の日本人は、みせかけでない勤勉さて働いてきたとおもう。
さらにみせかけの勤勉のサラリーマンのほうが経営者は扱いやすい。
部下を上司が名前を呼び捨てにして、お前、俺とかの社会を築いてきたのが古い体質の社会である。
親にも呼び捨てされなかったのにとよく新人職員でとまどうかたがいるそうである。
村社会である。
当然村8分があるから、皆は上司を内心いやなやつでも従う。
給料アップのため、出世するため上司の不条理に耐えた。
おろかなふりまで上司の前でする。家族のため、住宅ローンのために耐える。
またその上司は、そのうえの上司の不条理にたえた。
こうなるといつまでたってもイノベーションは育たない。
このような仕事の成果とは関係ないことにサラリーマンは力をそいできた。
それが美徳とされてきた。竹下総理の根回しのように出世するためには、成果より根回し社会になった。
政治の社会でもである。
これでは有事にはむかない。
根回しでなくすぐ決断しないと感染症はひろがる。
うえの決断をまっていたら感染症は広がる。
村社会は、団結してある程度まで利益あがるが、改革には弱い。ノーという人を排除するからである。
イノベーションなどいらない、いわれたとうりにやれである。
感染症という有事がおきる前は、日本はこのままでいけるといままでの方式にのっかってサラリーマンできたかたがおおい。
外資などは、競争社会だから違うし、日本企業でも海外と肩をならべるところは、成果第一主義がおおい。
テレワークがすすみ、職場のかたにあえなくて寂しいといわれるかたもいる。
地域にサテライトオフィスなどつくれば異業種のコミュニティもできる。
私はこれが医療にもできないかと考えている。
医療費がいまのままだとかかりすぎる。
コロナに立ち向かう医療などの専門性高い医療と地域にねずく地域医療とは、区別されていくだろう。
かかりつけ医制度は、前から国などはやろうとしたが反対するみせかけの勤勉なかたがいてすすまなかった。
これがおこなわれていくと当然、病院機能などスリム化していく。
事務職でテレワークのかたもでてくる。
カルテ扱う個人情報の仕事だが、個人情報扱う銀行などでもやっているので、テレワークになる可能性がたかい。
こんなことをブログでかくから、みせかけの勤勉で頑張ってこられたサラリーマンにお叱りうけるだろう。
やる気をだし、やろうとすると、いままでもかなりお叱りを特に男性がたからうけ院内ではついに窓際族である。
ひっこんでろ、口をはさむなである。
しかし地域のかたがたは沢山私の外来にきていただくという現象がおきている。
だからみせかけの勤勉とはいわないが、地域のかたの診療以外は、やる気をださない日本型サラリーマンののようにしている。
そこへ突然、コロナがやってきた。
私の愚痴はさておき、なかなかすすまなかった成果主義がコロナによりすすんだ。
私が生きているうちにはできないとおもっていた。
これで有能な人が日本社会にでてきやすくなってきた。
上記の本のように日本社会の非成果主義は、変わらない、だめだ、閉塞感だけだとおもっていた。
誰のせいでもない疫病で社会改革はすすんだ。
なかなかすすまなかったキャッシュレスもすすむ。
10万給付金のためマイナンバーカード取得もすすんだようである。
おいそれとすすまなかったことが一気にすすんでいる。
しかし、痛みもうける業種もある。
社会改革には必ず痛みを伴う。
そこへは手厚い支援が必要である。
イノベーションあり成果だしたかたが、社会をつかさどるのがよい。
日本人ほど仕事にやる気がない国民はないといわれている。
目立たず、上司のいいなりに、朝から晩まで動き、みせかけの勤勉ですごすのは、面白くない、やる気でないのは当たり前である。
仕事嫌い日本人がおおいのこのためである。
すこし、やる気ありそうな人を小さいグループでたたく。
上記の本にもでていたが、パワハラなどがおこる。
成果主義になればパワハラなどおこりにくい。
成果あげた人物が仕事をやるようになる。
管理などされなくても在宅できちんと成果あげる人物が日本をすくう。
上記の本にもあるが、暇そうにしていた人物が一番仕事ができたということがある。
八時間机の前にすわっていることで成果でない。
集中して仕事はしてあとは、余暇につかうことが大事である。
さっさと仕事すませ、家庭や地域ですごすのがアフターコロナの働きかたである。
有事にはすぐ決断、すぐ実行でないといけない。
官僚がかいたペーパーを総理が読んでいてはおっつかない。
上司の指示待ちなどしていたらおっつかない。
知事で自分の頭で考えうごいているかたがいるがそうしないといまはいけない。
みせかけの勤勉などしている場合ではない。