riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

ワクチンの国内開発がおくれたのは何故だ❗️

ファイザーからの供給が年内までと半年おくれるらしい。

諸外国で、自国民に回すのが先になるのは当たり前である。

なぜ、日本でワクチン開発が遅れたのか?

研究者に国がお金をだしてなかったからである。

若い研究者は地位もなく博士号を取得しても非正規で働いているため研究どころではなかった。

奨学金をもらい学問続けてきた研究者は、生活さえままならない。

この事情には、私はくわしい。

なぜなら息子が研究者のはしっくれだからである。

大学4年、前期大学院2年、ここで修士号、後期大学院4年と勉強続けやっと博士号取得になる。

これが一番はやく博士研究者になれる道のりだが長い。

博士号を取得しないと実は、海外の研究機関ではまともな職につけないが博士号取得していると海外では待遇がよい。

海外では、学問をみにつけた研究者は厚待遇なので、日本の若き研究者は、海外へ流出コロナ前はかなりしていた。

かたや日本では?

医師になるよりながく大学で勉強しても非常に報われない。

バイオ研究の遅れをきたした日本がまねいたのが、ワクチン開発のおくれである。

昔より、私は、科学を大事にしないと日本は滅びるとおもっていた。

医師の給料をあげるのも大事だが、研究者の身分を保証してせめて正規な身分を保証しないと日本はつぶれる。

日本国民の命は救えない。

ワクチン開発が国内でおくれたのは、目先の利益にばかり政治がすすんたからである。

自国で研究者を育てワクチン開発がおくれた最大の理由は、目先の利益ばかりに社会がとびついてきたからである。

研究者を育てるのはお金と時間がかかるが国力の基礎である。

しかし、有事のときは、国の力になり、国民を救う。有事でないときは、必要性がわからなかっただろうが、

日本では、医師も平均年齢が高い、これが医療崩壊の一因でもある。

ある東北の民間病院の医師がうちの病院の医師は65才以上しか三人しかいなく、とてもコロナ患者はうけとれないとネットにかきこんでいた。

おそらく高齢者の入院を専門にしている病院であろう。

高齢者も大事であるが、高齢化した社会なにかがおかしくないだろうか?

高齢者をみすてろといっているわけでない。

老人病院で働く、高齢の医師でも年収は1200万は軽くこえているだろう。

日本の病院利益はベッドをうめないとあがらない。

だから高齢者を病院へ入院がいままでの日本医療だった。

そういった病院には、体力がない老医師がおおい。

コロナ患者をいれるから、入院している高齢者を自宅に帰そうはできない。

介護が自宅で困難だから入院しているかたもかなりいる。

では、老人施設は?

老人施設もいまは大変である。

介護職のかたは、低い給料で重労働である。

北欧では、介護職は、公務員で保証されている。

それにくらべ、日本の科学をせおう若き研究者たちは非正規では、たべていけない。

若き研究者をささえないと日本はたおれる。

国内のワクチン開発がおくれたのは、それゆえである。

コロナ問題でうかびあがった民間病院の問題は、高齢医師による高齢者の為の老人病院も一因である。

医療構造、とくに高齢者医療、介護を変えないかぎり、いまの矛盾は続く。

このような老人病院にコロナ患者はみれない。

急性期をすぎリハビリ時期になり感染の危険度がなくなったかたは、民間病院は、うけいれるべきだとテレビのあるコメンテーターが話していた。

そうは簡単には話はすすまない。

なぜなら、65才以上の上記に記載した医師だけの病院では、医師の体力でも問題があるのに、

さらに、スタッフも高齢者が多くなるから、コロナ患者の受け入れは厳しい。

厚労省は、これらの問題を解決しないといけない。

文部科学省は、各大学に、研究者をやとえるようにせめて、若き研究者たちが普通に暮らせるように予算をださないといけない。

普通のサラリーマンの平均年収もない、それどころか、日々の暮らしに困る若き研究者がたくさんいる。

研究したくてもできない若き研究者がいっぱいいる。

なかには、生活保護すれすれの若き研究者もいるときく。

どこの国もワクチン供給は自国民からである。

若き研究者にせめて正規職員として、暮らせるように国はするべきである。

博士号を取得しても、アルバイトでくらし、アルバイトさえいまない世の中で数多くの研究者がうもれているのは、国の損益になる。

有事のときにあせって、金を海外へばらまきワクチンを買い占めようなど、甘い‼️

 

有事でないときから自国で金と時間をかけ、研究者をそだててきた海外からしたらなにを今さらだろう。

何事も後手後手にまわったつけが結局は、国民にきている。