riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

あなたは、認知症になりしばられても病院で最後むかえたいの?

認知症についてと過去、講演したことがある。

リウマチになり体が不自由になったので今はやっていない。

講演にこられるかたはもちろん認知症のかたはいない。

認知症とたんなるもの忘れとの違いとは、認知症は忘れたということを忘れている。たとえば、鍵どこにやったけ?は、もの忘れ、鍵をなくしたことじたい、忘れているのが認知症

 

認知症は、本人は、わからなくなっているから苦痛ない。癌の末期の痛みも認知症だとないことが多い。

認知症になり一番困るのが周りの家族である。私は神様が長寿に人がなりくれた病が認知症だと思う。認知症になると死への恐怖も無くなるからでる。

 

認知症に親がなり、親がなんらかの病で入院したとする。拘束の同意書をとられたかたがいるのではないだろうか?

 

 

認知症になると点滴をひきぬいたりするのでミトンとよばれる手袋や、ベッドにしばる拘束帯、あとベッドからおちたときのセンサーなどつけることに家族が同意する書類である。

どんなことを拘束として厚労省が認可しているかしる必要あろう。入院拘束とネットで検索するといろんな会が、写真が記載されているのでご参照いただきたい。

 

医療安全からの対策としてほとんどの病院で、認知症のかたを拘束する。転倒したりするからであるが、家や施設で終末期をむかえる時は、拘束もちろんしない。施設でもまだ拘束しているところあるという。昔は往診にいった施設でみたが今はみたことない。

点滴などの医療行為を家や施設ではほとんどせず、かれるように穏やかな最後をむかえるからである。

超高齢者のかたが、管をあちこちつながれ、拘束をはずしてくれと叫ぶなどあちこちの病院でみられる、悲しい光景である。

つい最近、100才のかたが老人ホームでおなくなりになりみとった。

お元気なときには、南方で戦ったお話しもされていた。

 

ご家族ともよく話しあい、施設でかれるがごとくおなくなりになった。苦痛は一切なかったとおもう。食事とれなくなり、眠っていることが多くなり、穏やかにすーとある日なくなられた。

 

おみとりにいくとご家族は、お部屋でプロ野球の試合の話をしておられ、微笑んでおられた。談笑されていたのである。

素晴らしい死だったと私はおもう。

最近、もう一人施設でかれるようにおなくなりになったお一人様女性がいた。尊厳死協会にはいっておられた。晩年は認知症で判断力なかったが、尊厳死協会にはいられていたので施設で穏やかになくなれた。

 

親戚とみられるあるかたがまだ50代くらいのかただが、私もこのようななくなりかたしたいとはなされていた。

病院としては、入院してもらい医療行為しないと利益はあがらない。病院が悪いのではなく、国は医療費ない、ないいいながら医療行為したら利益あげるようなシステムとっている。

 

どうやったら人として最後まで、尊厳をまもることができるか?私は認知症になり拘束されたくないなら、やはりきちんとどのような終末医療を希望するか、書類をのこす必要あると思う。

 

超高齢社会になり医療費がますますかかるようになり国家の財政が逼迫する。が病院は、利益あげるために手術、入院を増やさないといけない。この矛盾をなんとかしないといけない。

 

人生、100年の時代、独り独りが自分の最後は、オーダーメイドする時代である。100才でも管をつけていきたいと願うかたはそうしたらいいし。みんなが同じ死にかた、日本人がすきなみんなと同じではなくなってきたのである。

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