riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

差別しないで⁉️個性ある子供達を

ギフテッドとは?

私は、おそらくギフテッド児だったとおもう。

ギフテッドと天才すなわち、タレンテッドとはちがう。秀才とも違う。

 

アスペルガーともまた違う。

 

私は、アスペルガーの医師をかず多くみたがコミュニケーション能力にかけるとこあるが、ひと分野に秀でている。

 

私のことを昔あるかたが、ギフテッドではないかといわれた。

 

そのことで本当に救われた。

 

ギフテッドは英語圏からいわれた言葉であり、日本には浸透していない。

 

ギフテッドとは、1993年、アメリカ教育省が同世代の子供と比較して並外れた成果をだせる程、突出した才能をもつ子供のことと定義している。

 

あと詳しいことはネットでみてほしい。

 

日本ではかなり誤解している。

 

変人で潰される。

いじめにあい自殺したり精神疾患でつぶれる人、とくに女性に多いとされている。

 

シャッター記憶

実は、私は頭にカメラ映像のごとく、文字をみているだけで映像として覚えてしまう。

 

患者様ひとりひとりも映像として記憶する。

 

天皇の名前も最初から平成まで前は、おぼえていた。

 

これだけきいて、普通の人は、頭がくるっていると、日本ではなる。

 

シャッターがおりるようにその状況や本を記憶できる。

 

しかし、嫌いなことは記憶できない。

 

おとぎ話だった村の小学校時代

 

村の小学校では、個性としてみとめてくれた。

昔、知能テストというのがあり、異常値をだしたらしい。

 

町から小学校へ教育委員会がきて、養育していた祖父もよばれ、村のおとなたちは、おお騒動になった。

 

知能をちらさないと危険だと誰かがいいだし、それなら稽古ごとをさせ知能をちらそうになった。

 

担任は日本舞踊などどうでしょう?といったが、私が嫌だといった。

 

日本舞踊だなんて、おしとやかにできないと考えた。

 

祖父には、私を村からだし、有名な都会の学校にいれたらどうかとみんながいった。

 

だが祖父は村で義務教育だけは、みんなとすごさせ普通に育てたいとはなした。

 

音楽は大好きだったので、ピアノ、おことと夢中で学んだ。

 

というよりかってに自分流に楽譜みずピアノはひくから、ピアノ教師にしかられていたが。

 

あと英会話もものすごい変人な英語教師がいるとこに中学生にまじりいった。

 

この先生、奇人変人で受験英語でなく、外人と臆せず話すことしか教えなかった。

 

そのおかげで、一人で海外とかいってしまう。

 

英検二級をたしか小学二年か三年とかにとり興味をうしない、英語塾にいかなくなった。

 

ピアノとおことは続けた

 

村をでてからの孤独

 

村を中学ででてからは、だれも自分を理解してくれず、苦しんだ。

 

横並びでいないと社会から抹殺されてしまうからである。

 

祖父が、私の容姿からとくに男性たちは、なめてかかるだろうなあと、いっていた。

 

ため息まじりに私を手元からはなすときにいった。

 

一時期は、うちなる自分を封じ込めていきた。

 

友人には、本当にめぐまれた。

 

容姿ではなく、私の個性を認めてくれる、ボーイフレンドができた。

 

ガールフレンドもかず少ないが理解してくれるかたとは長くつきあっている。

 

誰にもいえなかったシャッター記憶について

 

シャッターで記憶するので、本のあすこらへんに書いてあったとか記憶できる。

 

このことは、わたしの村の友だちとなくなった友人、かず少ない友人、知人しかしらない。

 

幼なじみは、神経衰弱をトランプでやると一周まわってこなかったからつまらないから私とトランプをやるのはやめたといっていた。

 

最近友だちが小さいころ、トランプやろうといってもやってくれなかったことが理解できた。

 

最近は年をとってきたので覚えようとしないと覚えられない。

 

生きずらかった日々

 

いままで生きずらいことこのうえなかった。

 

アスペルガーとかを差別したり、少々かわった人を差別する日本の世の中はおかしい。

 

個性があってよいのではないだろうか?

 

ギフテッドではないかといわれたとき、謎がすべてとけた。

 

いまいる会社では、最上層部に個性みとめていただき、仕事させていただき感謝しかない。

 

他人とちがう、シャッター記憶できることをブログにかけることじだい、悩みは、ふっ切れたとおもう。

 

知能指数は高くても低くても障害児

 

知能指数がたかくてもひくくても障害児である。

 

高いほうの子供たちを救う、手段がまだ日本にはきちんと制度化されていない。

 

私は村のおとぎ話のような地域のかたのおかげで成人できた。

 

差別しないで

 

公表したのは、ギフテッド児を育てるのに苦労されてる親御さんのちからになりたいからである。

 

その子供たちを潰さないで、大好きな研究をかれらにやらしたらどうか?

 

大好きなことなら夢中でやる特色がかれらには、ある。

 

ギフテッドの女性は、途中で、自殺するとかあるし能力をひたかくしにする傾向あるらしい。

 

女性とは、つつましく男性にしたがうなど考えている男性がまだまだ多いからである。

 

私の容姿だけで初対面ではじめましてではなく、きみ、誰とどこに飲みにいくの?という男性医師がいた。

 

男尊女卑の世の中でまだある。

 

 

ここまで生きてこられたのは、まず村の方々、それと私を指導してくれた恩師たち、友人たちである。

 

最近は、他人とはちがうからと理解できて、考えられることもできてきた。

 

結論

横並び社会はよくない。

 

少し他人と違うとたたく、日本社会は今後閉塞してしまう。

 

個性なのだから、かわっている子供を差別したらいけない。

 

社会に役立つ人間は、社会みんなでそだてないといけない。