riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

おとぎ話のユートピアの幼なじみ~老後はハワイ集合‼️

幼なじみの夫婦と飲み会してきた。

いまは精神が傷ついていてこの夫婦ふくめて、三人としかまともに私生活では、会って話ができない。

PTSDがかなりひどい。

怖いのがまだ続いている。

幼なじみの息子もアメリカに仕事でうつってしまい、親元から離れたと。

同じ時期に息子たちが別々のアメリカ就職であり偶然にびっくりした。

実はうちの息子たち同じ岡山県に住んでいた。

幼なじみの奥さんが、アメリカは、銃社会で心配だと。

仕方ないよとはなした。日本にいても死ぬ犯罪にまきこまれることあるからとはなした。

おとぎ話のユートピアの村を二人がでたのは40年前、大学進学で。

おとぎ話のユートピアの村でもはなしたが、我々が育ったところは、山奥であった。

自由にのびのびみんなそだった。

幼なじみのおくさんは同じ県だが県庁所在地出身。我々のことは田舎者という。

我々二人にとり東京にでてくることは、息子たちがアメリカにいくのと同じだった。

 

外国に住んでいる感じでいまもいる。

あの山奥からでて、偶然にも同じ市内にすんで、息子たちはアメリカである。

なんか運命だねとはなした。

幼なじみもわくにはまらない、まあいま中規模の会社重役で経営者と立場変わらない感じだから、自由に自分のしたいように仕事しているのであろう。

これが大きな会社の課長とかは、彼はつとまりそうもない。

おはなしきくと息子さんもさらに友より自由人、グローバルのような感じである。

我々の時代に山奥からでて都会にくることは、外国にくるのと同じであった。

言葉も習慣もなにもかも違う。

私は言葉がつうじなくて入学した大学の寮でひっくりかえり1ヶ月入院したことある。

偶然にもそのときの主治医が最初の管理者である。

40年ぶりにお会い何年か前にしたときもびっくりした。

偶然とは、本当におこる。

人のえにしとは不思議である。

大学に入り言葉や習慣、食べ物が違い、意識消失して入院した。

精神的ショックで寝込んだ。それくらい文化が違った。

そんなこんなで私にとり、いろいろあり、外国で暮らしてきたが村の友は大学入学で何人か一緒に都会へでてきたがいまは二人だけである。

我々にとり今も外国だし、アメリカも同じ外国だから変わらないような感じである。

 男っぷりがました?

実は箱根駅伝をはしった幼なじみもいたが村にかえってしまった。

東京に少しだけでてきても、みんなやはり村にかえった。

きずいたら、二人だけ、のこった。

友いわく、男っプリがわたしはましていったそうである。

昔は、夢中になり、本ばかり読んでた。

小学生のときはあまり授業にでてなかった。

このころの話は、過去の記事のおとぎ話のユートピアでかいたのでお読みください。

 

riumati.hatenablog.com

 

 

いまは心は、ものすごくきずついているが男っぷりがましたそうである。

最高のほめ言葉である。

一人でおばさんがいきていくには、色気より男っぷりかもしれない。

おおきなベッドの横の枕で寝るのはろん君である。

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ロン君

 

彼がうらやましいのは、つがいのような奥様がいること。私にはロン君。

山奥過ぎて隣町いくのも子供ながらドキドキ

友いわく、山奥すぎて子供のころ、隣のまちにいってもドキドキしたらしい、わたしもにたようなものである。

村からでること仲間から離れることは、ドキドキものであった。

未知との遭遇である。

それくらい育った場所は、山奥だった。

 

なんで山奥からでてきて苦労しないといけないかなあと。

山奥にいればよかったかなと時々おもう。

幼なじみは、都会で最後まで暮らすそうである。なら、わたしもいようかなと。

 

我々は死ぬときは日本にいないかもよとはなした。

やはり息子たちがいるそばにいくんじゃない?と、

幼なじみがすごいことをさらっとはなした。

この同窓会、将来はハワイ集合にしようと。

息子たちがアメリカの女性と結婚する可能性高い。

孫はアメリカ国籍かもしれない。

孫の子守りにアメリカへでついでに日本から近い、ハワイ集合では?と。

幼なじみの奥さんは、息子さんを心配だから今年アメリカにいくと。

わたしもいくつもりよと、はなした。

しかし、アメリカでも二人がいる距離ははなれている。

なにか不思議なえんで、つながっている息子たちがアメリカで、仲良く酒でも飲む姿がめにうかぶ。

こうやって人のえんがつながっていくのだなあと。幸せな気分に久しぶりになった。

最初は、山奥からである。

 

 山奥からアメリカへ

山奥ですごした我々の息子たちは同じ年にアメリカ就職した。

すごい偶然である。

山奥まで帰るのにいまでも1日かかるのだからアメリカは同じじゃない?と私はかれらにいった。

奥さんはそれでも遠くて心配と。

いまにすごいはやい飛行機とんで、山奥にいくよりはやくつくよとはなした。

型破りだけど親心は同じ

なんだかんだいっても我々は、型破りだから仕方ないよと。

型破りな我々だけど、息子たちに、味噌、醤油、梅干しを届けないと。

日本食はむこうで高いからと話す我々。

高齢者医療の専門医としては、日系人の老人ホームあるし、むこうのほうが生活費やすいから年金あれば暮らせるよとはなした。

奥さんはわたしはここに住むのがいいといっていたが、三人そろいアメリカの日系人老人ホームにいる予感する。

 

日本社会に我々息子がいても、かわいそうだよとはなした。

 

わくにいれられ、形にはまり、上下縦社会の会社に勤務して、住宅ローンかかえ満員電車に毎日ゆられる社会にたえられそうもない息子たちである。

うちの息子たちがそんな社会にたえられるわけないよとはなした。

わたしも社会からはみ出しているしと。

わくにはまるのをたえられないから山奥から我々でてきたのよと、

医師免許はアメリカでつかえないから。

ピアノでも向こうのひなびたバーでも趣味かねて、ひこうかなと、友にはなした。

 

みんなでハワイ集合

 

孫もふくめ、みんなでハワイ集合は夢でないかもしれない。

息子たちは、海外ではばたく。

二人には、好きなことをアメリカでやってほしい。

山奥で暮らして、リヤカーに妹をのせてひっぱって山に果物食べにいってた友、かたや一人で山でこれも果物たべながら本読んでたわたし。

小学校は、ぽちゃんトイレでようするに肥溜めを掃除当番がかついだ。

プールないから川で体育の時間は泳ぐ。

そんな村である。

英語がはなせないという友に、息子たちがいるし、孫もできたらそんなの関係ないよと。

標準語も我々にとり外国語だし。

なれればなんとかなるし。息子たちは言葉に不自由しないし、なんとかなるよと話した

ハワイ集合は夢でないかも。すこし心が明るくなった。孫とかみんなでハワイで山奥の話も素敵かもと。

おばあちゃんはボデイーボードをハワイでやろうと決心した。

友が私はすでに、つぎの人生計画たてているなあと。

山奥からアメリカかと。

そのつぎの世代は、宇宙にはばたくしかないような?