あたたかい地域のかたへ感謝、パート2
わたしは、いじめられたはなしなどおもいだしたくなかった。
が地域のかたがたが本当に心配してくださり助けてくださると
部屋にとじこめられたはなしは、いじめた数人だけでなく、知人はだまっていた人たちも生活あるからでしょうが、罪はふかいわよと。
警察は?ときかれたから、次回とじこめられたら警察がよんでくださいといってたと。
ひとりの人間をとじこめていじめるなど普通の社会ではないとあきれていた。
わたしは、かれらにかかわらないし、会議などなにされるかわからないから一切こわいからかでないしとはなした。
知人のおねえさまたちは、あたたかかった。
ブログなどにいじめ問題をあげるなというはなしもあるとはなしたら、だから自殺とかがいじめによりおこるのではないの?と。発信しておかないと、なにかあってからではおそい。
あなたの家族、友人、知人もいるし、いじめられていいわけない、
それをいじめた人間でなくいじめられた人間をとばすなんてひどいと。いじめた人間たちになんのとがめもなくと
もし先生が自殺をいじめによりしたら、いじめにかかわった人たちは先生の家族に、責任をどうとるのか?と。うちの息子は母親がいじめで自殺でもしたら、だまってはいないだろうが。
新しい時代になったから、いじめに荷担したひとたちは、どうせ罰は人生でうけると知人たちははなしていたが。他人をいじめてうまく人生がいくわけないと。
集団になるとひとりをいじめることができる。ひとりだとなにもできないひとたちが。
地域のかたたちは、正当な判断をくだしてくださっている。
感謝している
おもいだしたくなかったが、地域のみなさんが応援してくださっている。
答えはでている。
いじめに参加したひとたちは、罪にとわれるような人生しかまっていないわよと知人がはなした。
いまとがめうけなくても、おとなをひとりとじこめ、いいつけたな、とかいうことなど、社会人がやることでないしとみんながはなしている。
よその病院からうちはそんなばかげたいじめしないからいつでも逃げてきてくださいといわれたけど、と知人にはなした。
病もあるし地域の患者さまがいるから外来だけはやるからといったら知人たちは、安心したと。
だまっていたほうがよいかもしれないが、地域のかたたちは、わたしよりこのいじめにたいしては憤りかんじている。
ひとりをいじめるのは虫ケラをつぶすより簡単だが虫ケラにはかずおおくの仲間がいっぱいいた。
虫ケラだとおもいばかにしてふみつけたのだと地域のかたたちはいっている、
私がいったことではない。
地域という味方がいた。
地域を大事にしていたらこんなことはおこらないと地域の知人たちははなしている。
人間を大事にひとりずつしていたらこんな仕打ちをリウマチで車いすの人にしないと。
いじめた人間のわたしにふたをして知らんぷりしようとしたのだろうが、地域のかたたちは、忘れていなかったし、正当な判断をなさるようである。
また時間たてば、地域のかたは、しずかなる抵抗をいじめたかたにするのであろう。
わたしは、人権ある人間だということをいじめたかたたちは忘れているのだろう。
子供もいるし、おなじ地域におさななじみの親戚はいるし、なにより地域は私の味方である。
心にかなりの傷をおっているので、おもいだしたくなかったが地域のかたはわすれないし、いまでもわたしより憤りがある。
それにはびっくりしたし感謝している。
地域にもかなり影響力ある知人のお姉さまが、人間性がたかい医師にしかかからないとはなしていた。いくら最先端医療といわれても、いじめをするような医師にはかかりたくないと。
人間性が一番大事と。
また私を知人にはなしたなとせめるなら、自分たちがしたことを神仏にとい恥ずかしいとおもわないといけない。
しかしかれらはそれができないだろう。
やりかたは、車いすの人間を部屋にとじこめてみんなでいじめなくても色々あっただろうにが地域のかたの意見である。
車いすだからにげださそうにもにげだせない。
地域からしずかなるボイコットをわたしをいじめていたらますますされるだろう。
これが男性医師ならここまでしない。おもいだしたくなかったが、地域はわすれていないし、しずかなる抵抗を地域はしている。
いじめた人間たちは、地域は許してくれない、わたしは、いじめたかれらに、二度とかかわりたくなかったが。
知人は待合室にいたら先生のとこしか回転しないのは、よくわかると。それが、地域の答えだとはなしていた。
公的にも女性医師の地位の改善は声をあげなくてはいけないと。
結論
いまだに男尊女卑だから、わたしを潰してもよかったのかもしれないが時代はかわってきている。
私ひとりの問題でなく地域医療の問題になっている。
地域はしずかなるボイコットをいじめなどする人間にする。
人々は虫ケラでなはなく、きちんとした考えがある人間だということをまずみとめないといけない。
車いすであった私をとじこめたかたは、本来なら謝罪し、けじめつけないと地域はしずかなる抵抗をやめないだろう。
当時リウマチの痛みかなりあり、足はむくみたてない状況だった。人の命をあずかるかたがたが本当にひどいことをしたと地域のかたがたははなしている。
職員でも勇気あるひとしか車いすのとき、ドアをあけたりしてたすけてくれなかった。
わたしの車いすをおしたりしたらいじめを自分もうけるからだろうが。
地域の待合室にすわっている患者さまが車いすをおしてくださった。
車いす生活になりだれが人格者かはわかった。
いまは歩けるようになったが、わたしは車いす生活のときに親切にしてくれたかたたちを忘れない。
一寸の虫にも五分の魂とむかしからいわれている。
今日もご夫婦で私の外来こられるかたもいる。
地域のかたがたには、足をむけて寝れない。
なぜ、ひどいいじめをうけても外来やるか?
それは、わたしに受診希望でよそに私がうつると歩いていけない高齢者のかたがかなりいるからである。
組織より人々の命、健康がわたしは大事だからである。
それが時間かかるが最後は、組織のためになる。地域の信用をえることになる。