riumatiのブログ

高齢者医療専門医の女医がリウマチになり体不自由になり犬と生活しています、医療、生活など病にかんすることから医療界についてなど発信しています

終末期を家と病院どこでむかえる?どこで死ぬ?

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私は死んだことがないので人が死ぬとき実際どんな気持ちなのかわからない。

ただ高齢者医療を専門でやってきたのでご高齢のかたの死には数えきれないくらい立ち会ってきた。

最近は施設、または家で医療行為はほとんどうけず、かれるがごとくやすらかに点滴もなさらずにすーとなくなれるかたが多くなり安堵している。

これが入院するとあちこちより管いれられ、点滴でからだはむくみ、今度はむくんだからと水ぬくため利尿剤つかい、食事がとれなくなったから胃ろうつくってと延々と医療行為はつづくのである。ほとんどが認知症の高齢者のかたなので点滴などひきぬくので体をぐるぐる巻きの抑制の道具をつけられるのである。地獄絵図である。

いくらかれるように高齢者はなくなるべきだといっても、かれるような治療では、病院の利益にはならない。たとえ100歳でもご家族が積極的医療行為を望むかたもいるので簡単ではない。

 

医療行為やめることは生きることにまけてしまうという考えの先生もいて100歳の方にも医療行為をエンドレスでやる。私からしたら拷問のようである。が医師の死生観の違いにより終末期医療はかわってくる。

 

長期入院すると病院の利益は今の保険制度では、減少してくるが空のベッドよりも利益あがるので長期入院になるケースある。長期入院になれば体がうごかくなり認知もすすんでしまう。

よくご家族がなにもたべていないので点滴してやってくださいというかたいる。誤嚥性肺炎だから抗生剤つかってくださいと。なにもたべれなくなり、つばでさえ誤嚥性肺炎のもとになるようになったら医学的末期状態で臨終のときなのである。

死ぬ前に飢餓状態になり脳よりしわあせなホルモンでて本人は麻薬をつかわれたような感じでなくなっていっているといわれはじめた。苦痛はなくしあわせな気分のなかでなくなっていると最近いわれはじめている。死ぬのが嫌だと終末期であばれた高齢者一人もみたことない。

どうしたら眠れるように死ねるかは尊厳死協会にはいっておけば静かにみとってもらえる。あと遺言書などのこしておくか。家でなくなる場合は救急車よばない、病院にはこばれたら医師はなにかしらの医療行為を医学的末期の高齢者にしないといけなくなる。なにもしないでいると医療裁判につながることがあるからである。

施設は最近みとってくれるところあるのでしらべてから入居したほうがよい。施設は必ず往診の医師がいっているので問題ないが家のばあいかかりつけ医がいないと不審死になり警察が入る場合あるので要注意

 

過去のブログにも書いたが保険請求のシステム が変わらない限り、病院経営のためには手術、入院がどうしても先決問題になる。日本中あちこちの病院ではこのようなことが毎日くりかえされている。

保険点数の問題は厚労省が腰をすえて考えるべきことだと思う。自分の死を医師任せにするのではなくオーダーメードできる時代になってきている。日本人は死ぬことを話し合うことは苦手だが、誰でも死ぬのだから元気なうちから考える必要ある。

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